ラベル 地芝居 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 地芝居 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2022年2月14日月曜日

2021年度「現代日本における地域市民演劇の諸相」研究集会

科学研究費・基盤研究(B):「現代日本における地域市民演劇の諸相」(研究代表者:片山幹生)では、2021年度研究集会をオンラインで公開して以下のように実施します。前身のプロジェクト「日本の地域素人演劇の包括的研究」の成果物である『「地域市民演劇」の現在』(2022年、森話社)の刊行記念も兼ねています。 

開催日時:2022年3月14日(月)10:00~15:00
参加費:無料

プログラム
【午前の部】 
 10:00- 日比野啓:『「地域市民演劇」の現在』について
 10:30- 小川史:崋山劇(愛知県)
 11:00- 片山幹生:切山歌舞伎(山口県)
 11:30- 鈴木理映子:劇団音芽(大阪府)

【午後の部】
 13:00- 舘野太朗:長崎まるごとシアター(長崎県)
 13:30- 須川渡:劇団生活舞台(福岡県)
 14:00- 畑中小百合:劇団四紀会(兵庫県)
 14:30- 本橋哲也:現代版組踊レキオス(沖縄県)

一部のみの聴講も可能です。参加を希望されるかたは3月13日(日)までにこちらから参加者登録をお願いします。登録後、ミーティング参加に関する情報の確認メールが届きます。

地域市民演劇研究のブログもご覧ください。

2020年11月26日木曜日

オンライン地芝居サミット2020

オンライン地芝居サミットに出演します。
詳細や参加申し込みはPeatixのページをご覧ください。
どなたも無料で参加していただけます。

☆日程:12月20日(日)
☆時間:13時~17時
(配信中の出入り自由です。お好きなプログラムだけのご視聴も是非!)
☆料金:無料
☆視聴お申込み peatixのイベントページより
https://onlinejishibai2020.peatix.com/

●13時~
「口上 開演のことば『全国地芝居サミット』ってなんですか 
城井智子(全日本郷土芸能協会常務理事 ※全国地芝居連絡協議会副議長)
※全国地芝居連絡協議会(略称 全地連)
 
本イベント主催(公社)全日本郷土芸能協会に加盟する全国の地芝居団体や、関心を持つ個人によって構成。全国の地芝居関係者との交流を図り、地域社会における地芝居の保存振興と発展に寄与することを目的に平成10年に結成した。

●13時15分頃~
「日本の原風景 写真で巡る地芝居はじめて紀行」&「地芝居のまち」
山口清文(全国地芝居連絡協議会議長 写真家)
山本正実(埼玉県秩父郡小鹿野町 小鹿野歌舞伎保存会副会長) 

「町じゅうが役者」の埼玉県小鹿野町。江戸で修業を積んだ初代 坂東彦五郎が帰郷後、近所の若者に歌舞伎を教えたのが始まりで、山車型の「屋台歌舞伎」が大きな特長です。子ども歌舞伎、若手歌舞伎、女歌舞伎、さらには町民参加型の「入門教室」もあるというカブクのは当たり前な土地柄。

山口清文さんは新聞社を退職後に小鹿野町へ移住。在職中から小鹿野のみならず、全国各地の地芝居をファインダーにおさめてきました。とくに『日本地芝居写真紀行』は、今は見ることがかなわない地芝居の在りし日の姿も写した貴重な一冊。舞台裏の役者の表情やその土地の風景も含め、写真にみる地芝居の世界を伝えてくれます。

山本正実さんは、小鹿野町教育委員会社会教育課で、長らく公務員として小鹿野歌舞伎に関わってきました。自らツケ打ちも担当し「小鹿野歌舞伎の生き字引」とまで称される陰の立役者。実は、公務員が役者だったり、歌舞伎保存に関わる部署にいることは少なくありません。影の立役者から、近年自らも役者として舞台に立つようになりました。

今回の「写真で巡る地芝居はじめて紀行」は、この写真集をもとに、山口&山本のヤマヤマコンビでお送りします。
各地を実際に訪れたからこそ語れる、特色ある地芝居のお話しを楽しみましょう!

●14時10分頃~
「体験、地歌舞伎ガイドツアー!」

足立伊公子(地歌舞伎案内人&岐阜県恵那市東野歌舞伎保存会役者)

岐阜県は全国最多30を超える団体が活動する「地芝居王国」。ここでは「地歌舞伎」と称し、岐阜の宝物として大切にしています。
足立さんは、そんな地芝居王国の歌舞伎保存会の役者であり、バスツアー仕立てで観客を招き、バス道中から地芝居にまつわるあれこれのガイドをされている方。自らも舞台に立つ役者ならではの裏話も。単なる地芝居の楽しみ方解説に…とどまるはずがない。

●15時頃~
「親子で役者!教えて祇園座さん―子ども歌舞伎編―」
鎌田義美(香川県高松市 祇園座保存会)
鎌田紋妃(香川県高松市 祇園座保存会 子役 中学1年生)

香川県では、小豆島の農村舞台がある肥土山と中山、子どもたちが役者となる曳山系舞台の白鳥、そして高松市の祇園座の四つが活動しています。祇園座は高松市香川町東谷の平尾八幡神社に奉納され、江戸時代後期に、若者が徳島に藍染の出稼ぎに行きに習い覚えてきたのが始まり。地芝居の役者には「親子で役者」「三代で役者」も少なくなく、今回は、父も役者(兼会長、義太夫担当)、母も役者(兼事務局)、そして子役で看板娘さんという一家より、“父と娘コンビ”が出演。地芝居をつないでいくのは後継者。その子役自らが語るめったにない機会です。  

●16時15分~
「ここだけのはなし 地芝居あれこれ談義」
今回の登壇者勢揃い、主催の(公社)全日本郷土芸能協会と、企画の※地芝居ポータルも参戦し、『地芝居ここだけでね』、な裏話などなどを。ご鑑賞されている皆さまからのご質問も、お待ちしております。

※地芝居ポータルhttps://jishibaiportal.com/
インターネット上に、全国の地芝居に関する情報サイトを2011年に設立・運営している団体。

蒲池卓巳 

地芝居ポータル代表。愛知県名古屋市でお寺の住職を務める傍らで地芝居を追いかけている。追いかけるうちに役者となり、義太夫を習ったりとますます抜け出せなくなる。現在は育児のため地芝居は休業中。

北河直子

中野区立歴史民俗資料館学芸員。学生時代に中京地域の獅子芝居を追いかけ、同時に見始めた地芝居のおもしろさにハマる。地芝居で好きなのは、底意地の悪い女性役全般。

舘野太朗

民俗芸能学会理事。三十代半ばにして芸歴は20年をこえるベテラン役者であり(ただし、10年の中断期間あり)、世界で十指に入る地芝居の研究者(いま地芝居を研究している人は10人もいない)

2020年7月17日金曜日

『歌舞伎 研究と批評』65


論文出ました!素人芝居特集です!すごいです!
舘野太朗「平成地芝居の三十年」『歌舞伎 研究と批評』65、2020年7月。
雄山閣のサイトからどなたでもお求めになれます。

2019年5月5日日曜日

藝術学関連学会連合 第14回公開シンポジウム

藝術関連学会連合の公開シンポジウムに参加します。
詳細は藝術関連学会連合のページをご覧ください。

藝術学関連学会連合
日本学術会議 協力学術研究団体
第14回公開シンポジウム
アマチュアの領分
過去・現在・未来



2019年6月8日(土)13:00-17:00
国立国際美術館 大阪府大阪市北区中之島4 -2-55
主催:藝術学関連学会連合

プログラム
13:00  開会の言葉 藤田治彦|藝術学関連学会連合会長
     共催者挨拶 山梨俊夫|国立国際美術館館長
     全体の趣旨 鈴木禎宏|意匠学会|お茶の水女子大学
第1部 アマチュアの歴史  13:20-14:40
歴史においてアマチュアが果たしてきた役割について考えます。異なる芸術分野ごとの事情の違いに気づくとともに、歴史においてアマチュアがいかなる存在であったのかについて理解を深めます。

13:25 照らされたドメスティック・クラフツ
山﨑稔惠|服飾美学会|関東学院大学
13:40 農民美術におけるアマチュアの性質
石川義宗|日本デザイン学会|長野大学
13:55 〈芸術家〉になれなかった山下清
服部 正|美術史学会|甲南大学
第2部 アマチュアの現在  15:00-16:20
アマチュアをどう養成していくか、アマチュアはどう発生するか、プロ-アマの構図をどう見直していくのかといった問題点について議論します。各芸術分野がいま現在かかえている問題について比較検討をおこないます。

15:05 地芝居に見る〈アマチュアの領分〉
舘野太朗|日本演劇学会|横浜いずみ歌舞伎保存会
15:20 ポップカルチャーから見る〈よさこい系〉
秋庭史典|美学会|名古屋大学
15:35 プロ/アマの境界のシフトと社会的認知のズレ
神野真吾|美術科教育学会|千葉大学
第3部 アマチュアの未来  16:30-17:30
専門家集団である学会はアマチュアについて真剣に語ってきたでしょうか。現実においてプロはどれほどアマチュアと区別されるのでしょうか。芸術文化の根本にかかわる問題に切り込み、未来の芸術文化の担い手について考えます。

17:25 閉会の言葉 貫成人|藝術学関連学会連合副会長|専修大学
17:30 終了

地芝居に見る〈アマチュアの領分〉
舘野太朗|日本演劇学会|横浜いずみ歌舞伎保存会
歌舞伎は都市部のみならず、村落部においても村芝居として享受されてきた。村芝居は一座を買ってくる買芝居(かいしばい)と、素人の住民がみずから演じる地芝居(じしばい)にわけることができる。地芝居であっても、振付(演出)や音楽の演奏には、専門技術をもつ「プロ」が関わっていることが多い。「プロ」が担っている役割から、地芝居における「アマチュアの領分」を明らかにしたい。

2018年12月25日火曜日

スーパー一座と市川升十郎、地芝居。

スーパー一座が市川升十郎の指導を仰いでいた、という話。市川升十郎は、市川少女歌舞伎劇団の指導者として知られる。劇団が商業公演を撤退したのちは、劇団員とともに中部地方を中心に地芝居の師匠として活動していた。スーパー一座成立には、誰にでも歌舞伎を教えてくれる升十郎のような存在が重要だったのではないか。スーパー一座から地芝居の竹本が出たという記述も、同時代演劇と伝統演劇の繋がり方として注目に値する。以下引用。

岩田信市「ロック歌舞伎と大須オペラ」(『自然と文化』77、2005年1月) 
 手短かに述べた上記のような一座の歴史から、もうお解りかと思うが、我々の求めていたのは伝統の破壊ではなく、むしろ伝統の復活である。ただ、形骸化した様式にとらわれない、というだけのことだ。セリフも台本も自由にいじるが、決してパロディ風に現代化したり、流行のアングラ芝居風にアチャラカにふざけたりはしない。あくまでもオーソドックスである。演技も一座結成以来、かつての少女歌舞伎の指導者、市川升十郎師に型の指導を受け、今でも年一本ずつ、義太夫狂言の指導をあおいでいる。役者の基礎訓練として始めた義太夫節の練習の中から育った竹本団勇は、今ではこの地方で盛んな農村歌舞伎の太夫として、引っぱりだこの欠かせない存在となっている。

2018年12月23日日曜日

ハラプロジェクト『パンク歌舞伎・地獄極楽』


ハラプロジェクト『パンク歌舞伎・地獄極楽』

日時:2018年12月21日~24日(21日19時開演を観劇)
会場:名古屋能楽堂

演出:原智彦
脚本:岩田信市「平家女護ヶ島」
原作:近松門左衛門「平家女護ヶ島」

音楽:TURTLE ISLAND、切腹ピストルズ

10月に国立劇場で芝翫が通し上演を手がけたときと同様に、主宰の原智彦が清盛と俊寛を兼ねる。特に俊寛は原のニンにぴったり。予想以上に歌舞伎のにおいが濃厚で、男性役はせりふを歌舞伎の息で大時代にうたう。対して、女性役は新劇的なせりふまわしでリズムと世界を壊してしまう。千鳥を演じた藤井朋子は例外的に歌舞伎になっていた。女性だから歌舞伎の女方のせりふができないということはない。各地の地芝居、学生歌舞伎、あるいは女流義太夫には、達者に女方を演じる女性がたくさんいる。また、女性役が白塗りやかつらを使わないので、役柄が判然としない。

劇伴のタートルアイランドは歌舞伎の役割で言うと黒御簾であり、浄瑠璃ではなかった。語りもの系の音楽ではないので、義太夫狂言的な音楽劇の快楽に欠けており、基本的にはせりふ劇で運んでいく。例えば、タートルとは別に浄瑠璃として浪曲師やラッパーが入ればもっといいと思う。切腹ピストルズはこのまえの「幽玄」の鼓童のような感じで、演奏と演技を兼ねる。

ツケは最初、揚幕の奥で打っていて非常に違和感あったが、途中から上手に移動して安心した。歌舞伎の息で打つので、見得で声をかけたくなる。今度見るときには声をかけよう。ツケ打ちは頭巾かぶってたが、顔出しでもよいのでは。柝は使わなかった。これはわざとかもしれない。

タテは歌舞伎の語彙で処理しているので、美しいし、安心して見れた。

パンク歌舞伎といっても、タートルアイランドはパンク成分薄め。途中、メセニーみたくなってたし。では、何がパンクかと言うと、歌舞伎を好き勝手にぶんまわす原さんがパンクなのではないかと思った。僕らは歌舞伎出ていても基本的には習ったことをそのままやるように頑張るわけで、ひとりで何かができるわけではない。いまはそれはそれで楽しいのだけど、中高生の頃はそれが負い目だった。その時分に、大須歌舞伎を見ていたらはまっただろう。そういう面でパンクロックに通じる初期衝動を感じた。花組芝居や木ノ下歌舞伎など、歌舞伎をベースにした劇団は他にもあるが、本流の歌舞伎に対する遠慮から知的な処理を施す。ハラプロジェクトは歌舞伎を暴力的に遊び倒す感じがある。こういうものは名古屋だから成立するのではないかと思った。

2018年12月11日火曜日

神山彰編『興行とパトロン』



興行とパトロン
近代日本演劇の記憶と文化 7

神山彰[編]
A5判/368頁
本体4600円(+税)
ISBN978-4-86405-135-4
C1374
2018-12

近代日本演劇

舞台を支える影の力学
興行師やパトロンなどの複雑な人的交流によってつくられる「近代演劇」。開化と改良の時代から現代まで、企業資本や政財界人による近代的な整備や関与の一方で、興行師、花柳界、小芝居や村芝居など、興行をめぐる多層的世界をさぐる。
興行の夢と現実とは──。

[Ⅰ 総論]
第1章 「夜」の演劇史──興行とパトロンの世界=神山彰

[Ⅱ 「開化」と「改良」の時代]
第2章 鳥熊芝居と小芝居と=佐藤かつら
第3章 歌舞伎座そして田村成義=寺田詩麻

[Ⅲ 近代化の光と影]
第4章 松竹と東宝──関西資本の東京進出=神山彰
第5章 見物から鑑賞へ──花街の連中、惣見、役者買=岩下尚史
第6章 京阪神のパトロン=河内厚郎
第7章 根岸興行部と浅草芸能の変遷=原健太郎

[Ⅳ 近代産業とモダン文化]
第8章 鉄道と保険──帝劇から日生劇場まで=神山彰
第9章 緞帳の調製と百貨店──進上幕の近代=村島彩加
第10章 中山太陽堂と小山内薫──化粧品会社と近代日本演劇の一側面=熊谷知子
第11章 企業が〈演出〉する渋谷の劇場文化──東横/東急とパルコの場合=後藤隆基

[Ⅴ「中央」と「村」と]
第12章 パトロンとしての国家権力──原敬内閣における「国民文芸会」と「大日本国粋会」=木村敦夫
第13章 相模の團十郎」たち──村芝居の興行=舘野太朗


2017年11月14日火曜日

平成29年度 歌舞伎学会秋季大会

歌舞伎学会の秋季大会で発表します。会員でなくても参加できますので、お気軽にお越しください。舘野の発表は10日の午前中です。

平成29年度 歌舞伎学会秋季大会

12月9日(土)
会場:早稲田大学27号館 地下2階 小野記念講堂
12:30受付開始、13:00大会開始

12月10日(日)
会場:早稲田大学27号館 地下2階 小野記念講堂
9:30受付開始、10:00大会開始

参加費:会員1000円、非会員1500円
懇親会費:6000円

―――――――――――――――――――――――――――

市川少女歌舞伎のレパートリーについて
舘野太朗(大阪市立大学都市文化研究センター)
【発表要旨】
 地方巡業で評判となっていた雪之丞一座がついに江戸の中村座に出演する。美空ひばり版『雪之丞変化』はそんな場面から始まる。当時の観客は、劇中劇に出演した市川少女歌舞伎を重ねて見ていたのではないだろうか。市川少女歌舞伎は太平洋戦争後に愛知県豊川市で結成された少女だけで歌舞伎を演じる劇団である。祭礼や地方劇場への出演を経て、1953年2月に三越劇場への出演を果たした。以後、10年弱にわたって、あらゆる商業演劇に伍して、東西の大劇場で公演を行った。
 本発表では市川少女歌舞伎のレパートリーを検討する。大劇場進出前から義太夫狂言を中心に豊富な演目を上演していた。例えば、浜松座で1952年7月から9月にかけて行った長期公演では、「十二の替わり」まで演目を入れ替えることができた。東京初出演となった三越劇場公演では昼夜通してすべての演目が義太夫狂言であったが、大劇場には馴染まなかったようだ。以後、劇団はレパートリーの拡充に力を入れる。市川三升、市川海老蔵をはじめとして、市川寿海、尾上松緑、藤間藤子など一線級の指導者のもと、歌舞伎十八番である『勧進帳』、『鳴神』をはじめとして、舞踊、新歌舞伎、新作を取り入れ、地芝居や小芝居と一線を画する演目を揃えていった。
近年の演劇研究では、「女役者」や「少女歌劇」の存在が注目されるようになってきたが、市川少女歌舞伎については基礎的な情報すら知られていない状況にある。今回の発表を少女歌舞伎研究の第一歩としたい。

2017年10月29日日曜日

2017年度日本演劇学会研究集会 テーマ:演技術からみる身体

日本演劇学会の研究大会に出ます。
◆日時:   2017年11月4日(土) ・5日(日)
◆会場:   愛媛大学城北キャンパス (〒790-8577 松山市文京町3)
詳細はこちら

日時:11月4日13:30~
会場:M32教室
パネル:素人演劇の身体性
 日比野啓(成蹊大学)
 片山幹生(早稲田大学)
 畑中小百合(大阪大学)
 舘野太朗(大阪市立大学)

2017年5月15日月曜日

民俗芸能学会 第165回研究例会

民俗芸能学会 第165回研究例会
舘野太朗「村芝居の現在・過去・未来」
コメンテーター:中村規・神田竜浩
司会:神田より子
参加費:200円(会員でない方も参加できます)
日時:平成29年7月1日(土)午後2時~4時50分
場所:早稲田大学演劇博物館レクチャールーム

【要旨】
 今回の発表では、神奈川県の事例を中心に、村芝居の現況、担い手や上演の変化、将来への見通しと課題についてお話ししたい。
 村芝居とは、祭礼等の機会に村落で上演されるかぶき芝居である。そのうち、村落の住民がみずから演じるものを地芝居、外部の劇団や近隣の住民を招聘して上演するものを買芝居と呼ぶ。村芝居を請け負う劇団は太平洋戦争後に姿を消し、現在では村芝居と地芝居がほぼ同義となっている。現在、地芝居を上演する団体は全国に200件ほどあるが、江戸時代から連綿と上演が続いている団体は希で、多くの団体が中断と復活を経験している。
 神奈川県では、1800年頃には既に地芝居が上演されていた。明治以降は買芝居が優勢となり、神楽師の流れをくむかぶき専門の劇団が1970年頃まで活動した。その後、県下の村芝居は、海老名市大谷地区の地芝居を残して行われなくなるが、1990年代以降、各地で地芝居の復活がなされ、現在は、海老名市の大谷歌舞伎、相模原市緑区の藤野歌舞伎、綾瀬市の目久尻歌舞伎、横浜市泉区のいずみ歌舞伎、座間市の入谷歌舞伎の五団体が活動している。大谷歌舞伎を除く四団体では祭礼の場を離れて、公共ホールで公演が行われている。また、義太夫狂言の上演に不可欠な竹本は全団体で外部から演奏家を招聘している。
 現在の村芝居は民俗藝能の範疇で議論されうるものなのだろうか。浅野久枝は「創り上げられる「山の芸」―長浜曳山祭・奉納子供歌舞伎にみる町衆の心意気」(『民俗芸能研究』61、2016)において、「地元以外の指導者を招聘する地芝居すべてが民俗芸能かどうかは言及しないが、少なくとも長浜曳山祭で上演される子供歌舞伎は、「山の芸」という民俗に裏打ちされた芸能である」としている。守屋毅「地狂言の終焉」(角田一郎編『農村舞台の総合的研究』、桜楓社、1971年)を参照しながら、私見を述べたいと思う。

舘野太朗(いずみ歌舞伎保存会会員・大阪市立大学大学院文学研究科都市文化研究センター研究員)1985年生まれ。1998年、泉公会堂『白浪五人男』の日本駄右衛門で初舞台。2009年、筑波大学第二学群日本語・日本文化学類卒業。2012年、筑波大学大学院人文社会科学研究科国際地域研究専攻修了。修士(国際学)。現在の研究テーマは、傍流のかぶき芝居(村芝居、学生歌舞伎、小芝居、市川少女歌舞伎など)、日本におけるモダン・パジェントの受容と展開。



2017年1月14日土曜日

「三大地歌舞伎」説への疑問

神奈川県、岐阜県、兵庫県の歌舞伎が「三大地歌舞伎」として紹介されることがあります。例えば、美濃歌舞伎博物館相生座のホームページでは以下のように説明しています。
日本各地で行われている地歌舞伎の中でも、さらに三つの地域のものについては、ある理由から、研究者の間では、日本三大地歌舞伎という呼称で調べられています。
三大地歌舞伎とは
1.小田原を中心とした相模地方の相模歌舞伎
2.中山道美濃の国の美濃歌舞伎
3.西国より京に至る事実上上山陽道の終点ともいえる播磨の国(今の兵庫県)の播州歌舞伎
以上三地方の地歌舞伎を指して呼ばれるものです。
今、国内の各地方で上演されている歌舞伎を含めての素人芝居は、徳川幕府がその支配力を失った19世紀の初頭から全国的に広がりました。(美濃歌舞伎博物館相生座HPより引用
「三大地歌舞伎」説は、この解説を踏襲するかたちで、岐阜県を中心に全国に広まりつつあります。僕は神奈川県を中心に地芝居の研究をつづけてきましたが、「三大地歌舞伎」説にはいくつかの疑問があります。

「研究者の間では、日本三大地歌舞伎という呼称で調べられています。」とありますが、僕は「三大地歌舞伎」説を採用している研究者を知りません。「農村舞台」研究のパイオニア的存在である松崎茂が神奈川県下の現存舞台の多さに注目したことがあるものの、それを引き継いだ角田一郎以降の研究者は神奈川県の舞台にはそれほど強い関心を示してきませんでした。少なくとも研究上は、神奈川県の地芝居が「三大地歌舞伎」の一角を占めるほど重要視されてきたとはいえません。

また、相模歌舞伎の中心地を小田原としている点も疑問です。小田原には桐座という芝居小屋のあったことが知られていますが、その実態はほとんどわかっていません(今後、荒河純さんの仕事ではっきりしてくるかもしれません)。神奈川県では近世末期から、祭礼等で芝居が上演されてきましたが、小田原から人を呼んだという記録は知りません。グッと時代が降りますが、昭和年間の相模歌舞伎というと、三桝源五郎や市川柿之助といった名前が知られており、この人たちは、座間、厚木、海老名といった「県央」地区を中心に活動していました。相模歌舞伎の中心地は県央で、小田原は歌舞伎よりも相模人形芝居のほうが盛んという印象があります。

神奈川で芝居をしている者として、「三大地歌舞伎」のひとつに数えていただけるのはありがたいのですが、根拠のはっきりしない状態で紹介されるのはどうもスッキリしません。地芝居(地歌舞伎)の概説で「三大地歌舞伎」説を採用されるのであれば、誰がどこで言いはじめたことなのかはっきりさせて欲しいです。

2016年10月4日火曜日

芸能文化研究会第六回研究会

第六回研究会のお知らせです。

来聴歓迎いたします。事前に以下のアドレスまでメールをいただけると幸いです。
geinoubunka〇gmail.com(〇を@に変えてください)

日時:2016年10月29日(土)14時~
会場:早稲田大学人間総合研究センター分室(27-8号館) 高田牧舎2階 (新宿区戸塚町1-101)




舘野太朗
 「大劇場時代の市川少女歌舞伎」
《要旨》
 市川少女歌舞伎は、太平洋戦争後に愛知県豊川市で結成された、少女だけで歌舞伎を演じる劇団である。同劇団は、1953年2月の三越劇場出演をきっかけに、東京の明治座、東横ホール、名古屋の御園座、京都の南座、大阪の四ツ橋文楽座、中座など、東西の大劇場に次々と進出を果たした。1962年に商業公演から撤退するまでのおよそ10年にわたって、少女(しかも地方出身の!)の演じる歌舞伎が、あらゆるジャンルの商業演劇に伍して大劇場で上演されていたのだ。一般的に歌舞伎は「男性の/大人の/家柄の俳優」によって演じられるものと考えられているが、市川少女歌舞伎はそれとは正反対の属性を持つ「女性の/子どもの/家柄でない俳優」によって演じられていたという点で特筆に値する。
 近年の演劇研究においては、「女役者」や「少女歌劇」などの女性の演じる演劇に注目が集まりつつあるが、市川少女歌舞伎に関しては研究対象として未開拓の部分が多い。少女歌劇と歌舞伎の関係に着目した画期的な論集である吉田弥生編著『歌舞伎と宝塚歌劇――相反する、密なる百年』(2014年、開成出版)では、同じく少女の演じる歌舞伎であった宝塚義太夫歌舞伎研究会が取り上げられていたが、残念ながら市川少女歌舞伎への言及は無かった。また、神山彰編『忘れられた演劇』(2014年、森話社)所収の藤井康生「演劇は忘れられる運命にある──戦後の演劇と劇場の変遷」では市川少女歌舞伎に関する記述があるが、同時代の観客の思い出に止まっている。学術的な論考としては、ローレン・エデルソン『ダンジュウロウズ・ガール』(Edelson, Loren. Danjuro’s Girls: Women on the Kabuki Stage. New York: Palgrave Macmillan, 2009)が現時点では唯一となっている。
 本報告では、まず、劇団員自身によって書かれた、市川升十郎『かぶき人生』(1983年、豊文堂)、市川梅香『まつば牡丹の記』(1993年、毎日新聞連載)、劇団員へのインタビューを中心に構成された黒川光弘『まぼろしの少女歌舞伎』(1984年、中日新聞連載)の記述を参照して劇団の概要を確認する。さらに、報告者の作成した市川少女歌舞伎上演年表を用いて、大劇場で上演された演目の傾向と変遷について考察を述べる。本報告を歌舞伎における、男性と女性、大人と子ども、都市と地方の関係を考えるきっかけとしたい。日本近代演劇デジタル・オーラル・ヒストリー・アーカイヴ(http://oraltheatrehistory.org/)で、報告者が取材者として関わった、劇団員の市川梅香、市川福升の聞き書きを公開している。事前に参照されたい。

高久舞(國學院大學研究開発推進機構研究開発推進センター客員研究員)
 「池田彌三郎を考える ―池田彌三郎の研究史―」
《要旨》
 本発表では、民俗芸能研究者としての池田彌三郎の業績を確認した上で、池田の「芸能伝承論」を再考することを目的とする。
 大正3年(1914)、銀座の老舗天ぷら屋「天金」の次男として生まれた池田は、昭和6年(1931)、慶應義塾大学経済学部予科に入学するが、3年後に文学部国文科に転科して折口信夫を師事する。昭和12年(1937)に文学部国文科を卒業し、戦後、慶応大学文学部講師、助教を経て教授に就任した。
 池田が折口民俗学を継承し論を展開していたことは自明のことであるが、言い換えれば、折口民俗学の解説者でもあった。その上で、独自の芸能伝承論を展開させようという意図もうかがえる。池田は『芸能と民俗学』(岩崎美術社、昭和47年)の中で、「わたしの芸能伝承論は、単なる行動、動作と芸術とのあいだに芸能をおき、どういう条件が、あるいはどういう制約が、芸能をその位置にとどまらしめているのかをみようとするところから出発した」と述べている。芸能とはなにか、芸術とはなにか、民俗芸能とはなにかを、池田彌三郎の研究史を踏まえて今一度考えてみたい。
《参考文献》
 『池田彌三郎著作集』(全10巻、角川書店、1979〜1980年)ほか

芸能文化研究会のブログはこちら

2016年4月5日火曜日

『まつり』77の特集は「続地芝居の今」


論文出てます。
舘野太朗「地芝居と学生演劇」『まつり』77、2015
学生歌舞伎、地芝居、子ども歌舞伎等について書きました。

2016年2月29日月曜日

市川少女歌舞伎の聞き書き公開されました。

市川少女歌舞伎劇団の中心メンバーにして、現在は東海地方の地芝居の師匠として活躍されている市川梅香師匠と市川福升師匠の聞き書きが「日本近代演劇デジタル・オーラル・ヒストリー・アーカイヴ」で公開されました。舘野は編集と構成を担当しました。

2015年12月9日水曜日

神奈川新聞の取材を受けました

いずみ歌舞伎の活動について神奈川新聞の取材を受けました。
2015年10月30日の朝刊に掲載されたほか、インターネットでも記事が公開されています。下記のリンクから記事に飛べます。

地域根ざす舞台へ「いずみ歌舞伎」20回目

郷土芸能ストリームにでました

2012年6月13日に郷土芸能STREAMというネット放送に出てきました。
録画もあります。

第011回「ゆとり世代ならぬ地芝居世代が案内する平成地芝居事情」
プレゼンター:舘野太郎(地芝居ポータル) 
コーディネーター:西嶋一泰(民俗芸能STREAM代表)
内容: 
 
数ある郷土芸能のジャンルのなかでもメジャーな地芝居。
平成に入ってからは、全国各地で復活が相次いだり、
子ども歌舞伎などの新たな試みや、地芝居団体同士の交流も盛んです。

 昨年は地芝居が登場する映画が複数本公開され、
地芝居ブームはいま最盛期にあるといってもいいのではないでしょうか!

 そんな平成地芝居事情を、子ども歌舞伎出身の新世代地芝居研究者が案内いたします。
 テレビや新聞で紹介されることは少ないのですが、
東京から日帰りできる距離の関東近郊でもたくさんの地芝居を見ることができます。
今回は昨年神奈川県下で行われた地芝居を中心に、
どんな場所で、どんな演目が演じられているのかをおみせします。
 さらにこれから地芝居を観にいこうという方にお役立ち情報を紹介します。 

2015年12月9日ustreamリンク切れの為、youtubeへのリンクに修正しました。


2015年10月15日木曜日

中村少女歌舞伎について

中村少女歌舞伎は長野県岸野村(現佐久市)で結成された劇団。
1954年に浅草松竹演芸場で公演を行っている。

津屋三郎「小学生ばかりの劇団中村少女歌舞伎楽屋訪問記」(『主婦と生活』1954年3月号)によると…

  • 1944年1月に岸野劇場で行われた地芝居に出演し、四幕を披露。
  • 上山田温泉の旅館が藝者たちに芝居をやらせるためにつくった衣装とかつらを借りる。
  • 地元有力者が後援会を結成。村長、教育委員、信越放送社長らが名を連ねる。
  • 師匠は女役者の中村千鶴。中村新玉の弟子で、「五十五六と見えるかっぷくのいいご婦人」。
  • 座員は、中村ゆき子(四年生)、中村千づる(六年生)、中村テル子(三年生)、市川京子(四年生)、中村タカ子(四年生)、中村松江(四年生)、中村幸子(四年生)。全員小学生。
  • 竹本は竹本津賀子、豊竹豊司。
  • レパートリーは、『熊谷陣屋』、『二十四孝』、『太閤記十段目』、『鎌倉三代記』、『阿波鳴戸』、『奥州安達ヶ原』、『源平布引』、『菅原伝授』、『車引』、『忠臣蔵七段目』、『刈萱』等々。
  • 東京公演は松竹演芸場の支配人が評判を聞きつけて、信州まで見物に行って、交渉が成立して実現。
※記事には市川少女歌舞伎への言及は一切ない。

2015年7月1日水曜日

芸能文化研究会第二回研究会

芸能文化研究会第二回研究会のお知らせです。
僕は松岡さんの発表でコメンテーターをつとめる予定です。

日時:7月16日(木) 16時~
場所:早稲田大学人間総合研究センター分室(27-8号館)高田牧舎2階
    新宿区戸塚町1-101
発表者:鈴木昂太(総合研究大学院大学)・松岡薫(筑波大学大学院/中央大学校)

要旨
●鈴木昂太「民俗学は神楽をどのように論じたか―牛尾三千夫による「祖霊加入の儀式」論をめぐって―」
 中国地方の神楽と田植習俗の偉大な研究者であり、自らも大元神楽の執行する神職であった牛尾三千夫(1907~1986)。彼の神楽論として著名であり、後世の研究に大きな影響を与えたものが、広島県庄原市東城町・西城町の神職と神楽団に伝承される比婆荒神神楽を「祖霊加入の儀式」と捉える論である。本報告では、牛尾の祖霊信仰としての神楽論を民俗学の研究史のなかに位置づけ、その内実を検証し、彼の研究方法の問題を明らかにする試みを行う。
 具体的には、まず、柳田をはじめとする民俗学が作りあげた祖霊信仰論を、農政・村落組織(家・同族・名)・氏神論の観点から整理し、祖霊と同族概念に関する問題を指摘する。続いて、問題を抱えた祖霊信仰論が牛尾によってどのように比婆荒神神楽に投射されたのかを確認し、その後の研究のなかでどうやって補強され、結果として現地の伝承にどんな影響を与えたのかを検証していく。この作業を通して、民俗学が民俗芸能・神楽をどのように捉えてきたのかを提示し、民俗芸能研究における研究方法の問題を提起していきたい。

●松岡薫「俄を演じる人々―熊本県阿蘇郡高森町の風鎮祭を事例に―」
 民俗芸能研究において、「誰がその芸能を演じるのか」という問いは、重要な関心事の1つである。
 熊本県阿蘇郡高森町の風鎮祭では、「向上会」と呼ばれる青年組織に加入する青年たちによって毎年俄が演じられる。向上会は、大正15(1926)年に、既存の青年団とは異なるものとして新たに組織された。戦後に青年団が解体された後は、向上会が青年団の活動も引き継ぐようにになったが、それ以前には、両者の活動は明確に区分されていた。現在の向上会には厳格な入会規定はなく、高森在住の青年であれば誰でも入会できる。その一方で、住民に対し、入会への強制力も働かないため、入会者の減少で組織運営が困難になってきている町内も存在している。つまり、現在の向上会は、青年であれば、誰でも入会できるが、誰しもが入会するわけではないのである。更に、向上会の構成員をみてみると、ある事情を抱えて入会している者の存在に気付く。
 本報告では、向上会という組織がいかなる組織なのか、歴史的経緯にも触れながら整理する。そして、向上会に所属する彼らが、祭礼のなかで俄を演じるということに、どのような意味が付与されているのか考察してみたい。

芸能文化研究会のブログはこちら