スーパー一座(1979~2008)
主宰:岩田信市・原智彦
指導者:市川升十郎
名古屋むすめ歌舞伎(1983~)
主宰:市川櫻香
指導者:市川梅香、十二代目市川團十郎
南山歌舞伎(2005~2016)
主宰:安田文吉
指導者:中村熊昇
名古屋こども歌舞伎(2009~)
主宰:安田文吉
指導者:中村熊昇
ハラプロジェクト・パンク歌舞伎(2010~)
主宰:原智彦
東海学園歌舞伎(2017~)
主宰:安田文吉
指導者:中村熊昇
2019年1月7日月曜日
2018年12月25日火曜日
スーパー一座と市川升十郎、地芝居。
スーパー一座が市川升十郎の指導を仰いでいた、という話。市川升十郎は、市川少女歌舞伎劇団の指導者として知られる。劇団が商業公演を撤退したのちは、劇団員とともに中部地方を中心に地芝居の師匠として活動していた。スーパー一座成立には、誰にでも歌舞伎を教えてくれる升十郎のような存在が重要だったのではないか。スーパー一座から地芝居の竹本が出たという記述も、同時代演劇と伝統演劇の繋がり方として注目に値する。以下引用。
岩田信市「ロック歌舞伎と大須オペラ」(『自然と文化』77、2005年1月)
手短かに述べた上記のような一座の歴史から、もうお解りかと思うが、我々の求めていたのは伝統の破壊ではなく、むしろ伝統の復活である。ただ、形骸化した様式にとらわれない、というだけのことだ。セリフも台本も自由にいじるが、決してパロディ風に現代化したり、流行のアングラ芝居風にアチャラカにふざけたりはしない。あくまでもオーソドックスである。演技も一座結成以来、かつての少女歌舞伎の指導者、市川升十郎師に型の指導を受け、今でも年一本ずつ、義太夫狂言の指導をあおいでいる。役者の基礎訓練として始めた義太夫節の練習の中から育った竹本団勇は、今ではこの地方で盛んな農村歌舞伎の太夫として、引っぱりだこの欠かせない存在となっている。
岩田信市、大須新歌舞伎座を語る。
岩田信市(1935-2017)は、1960年代に名古屋を中心に活動した前衛藝術集団「ゼロ次元」の中心メンバーとして知られる。1979年に「ロック歌舞伎スーパー一座」を結成し、2008年まで大須演芸場で「吉例師走歌舞伎」を上演する。「スーパー一座」の原点には大須新歌舞伎座で見た小芝居の記憶があったらしい。以下引用。
岩田信市「ロック歌舞伎と大須オペラ」(『自然と文化』77、2005年1月)
今でこそ歌舞伎は完全に様式化、古典化されているけど、私が歌舞伎に興味を持った戦後間もない頃はまだまだ歌舞伎も生きていて、盛んに新作が上演されたり、忠義や義理人情の中に新しい解釈が注入されたりして、どちらかというと、思想的、リアリズム的方向が追求されていた時代だ。
「様式美にたよる方向こそが歌舞伎をだめにする」といわれている時代に「様式美こそが歌舞伎だ」という岸田劉生の『歌舞伎美論』を読んで我が意を得たりと大いに感動した。世の中はこの本をまるで否定していた。戦後、すべての文化がアメリカナイズされた中で劉生の東洋美に目覚めた少年の僕は、そのことが納得できず、デロリとした美に憧れていたものだ。
ところが、その憧れの歌舞伎が、名古屋の下町、大須にあった。昭和二十七年、僕の家の裏に生まれた新歌舞伎座である。当時としても、もう珍しい歌舞伎主体の小屋で、いわゆる小芝居が常打ちされていた。嵐三五郎、関三十郎などという、今は消えてしまったが、江戸時代の大名題の役者が主で若い頃の先代の鴈治郎と共演していた片岡秀郎などという役者は評判であった。「錣引」とか「切られお富」なんぞという珍しい演し物の、ぞくっとするような退廃美に惹かれ、これぞ本当の伝統の江戸歌舞伎だと思った。当時、小芝居唯一の残党として東京の「かたばみ座」が有名であったが、比べてみて、僕は、はるかに三五郎一座の方が素晴らしかったと思っている。しかし、この反現代的歌舞伎一座も、その小屋も、結局時代に抗することはできずに何年か続いた後につぶれてしまったのだが、僕の中には、この時の歌舞伎のイメージが、強く焼きついていて、明るく、華やかなだけでこくのない昭和歌舞伎についてゆくことができず、結局歌舞伎は見なくなってしまった。
2018年12月23日日曜日
ハラプロジェクト『パンク歌舞伎・地獄極楽』
ハラプロジェクト『パンク歌舞伎・地獄極楽』
日時:2018年12月21日~24日(21日19時開演を観劇)
会場:名古屋能楽堂
演出:原智彦
脚本:岩田信市「平家女護ヶ島」
原作:近松門左衛門「平家女護ヶ島」
音楽:TURTLE ISLAND、切腹ピストルズ
10月に国立劇場で芝翫が通し上演を手がけたときと同様に、主宰の原智彦が清盛と俊寛を兼ねる。特に俊寛は原のニンにぴったり。予想以上に歌舞伎のにおいが濃厚で、男性役はせりふを歌舞伎の息で大時代にうたう。対して、女性役は新劇的なせりふまわしでリズムと世界を壊してしまう。千鳥を演じた藤井朋子は例外的に歌舞伎になっていた。女性だから歌舞伎の女方のせりふができないということはない。各地の地芝居、学生歌舞伎、あるいは女流義太夫には、達者に女方を演じる女性がたくさんいる。また、女性役が白塗りやかつらを使わないので、役柄が判然としない。
劇伴のタートルアイランドは歌舞伎の役割で言うと黒御簾であり、浄瑠璃ではなかった。語りもの系の音楽ではないので、義太夫狂言的な音楽劇の快楽に欠けており、基本的にはせりふ劇で運んでいく。例えば、タートルとは別に浄瑠璃として浪曲師やラッパーが入ればもっといいと思う。切腹ピストルズはこのまえの「幽玄」の鼓童のような感じで、演奏と演技を兼ねる。
ツケは最初、揚幕の奥で打っていて非常に違和感あったが、途中から上手に移動して安心した。歌舞伎の息で打つので、見得で声をかけたくなる。今度見るときには声をかけよう。ツケ打ちは頭巾かぶってたが、顔出しでもよいのでは。柝は使わなかった。これはわざとかもしれない。
タテは歌舞伎の語彙で処理しているので、美しいし、安心して見れた。
パンク歌舞伎といっても、タートルアイランドはパンク成分薄め。途中、メセニーみたくなってたし。では、何がパンクかと言うと、歌舞伎を好き勝手にぶんまわす原さんがパンクなのではないかと思った。僕らは歌舞伎出ていても基本的には習ったことをそのままやるように頑張るわけで、ひとりで何かができるわけではない。いまはそれはそれで楽しいのだけど、中高生の頃はそれが負い目だった。その時分に、大須歌舞伎を見ていたらはまっただろう。そういう面でパンクロックに通じる初期衝動を感じた。花組芝居や木ノ下歌舞伎など、歌舞伎をベースにした劇団は他にもあるが、本流の歌舞伎に対する遠慮から知的な処理を施す。ハラプロジェクトは歌舞伎を暴力的に遊び倒す感じがある。こういうものは名古屋だから成立するのではないかと思った。
2018年1月20日土曜日
藝能関係諸学会の会員資格・年会費・紀要発行回数
文学通信のブログで日本文学系主要学会の入会金・会費・会誌発行サイクル・資格制限等一覧という記事を見て、「おもしろそうだ。あたいもやってみようかしら。」ということで藝能関係諸学会でやってみた。僕に関係ありそうな学会を思いつくままにリストアップしただけなので、すべてを網羅しているわけではありません。
| 学会名 | 会員資格 | 年会費 | 紀要発行回数 |
| 日本演劇学会 | 推薦者 | 7000円 | 年二冊 |
| 舞踊学会 | 推薦者 | 7000円 | 年一冊 |
| 藝能学会 | なし | 6000円 | 年一冊 |
| 藝能史研究會 | なし | 6800円 | 年四冊 |
| 日本民俗学会 | 紹介者 | 8000円 | 年四冊 |
| 民俗芸能学会 | 推薦者 | 6000円 | 年二冊 |
| 日本民俗音楽学会 | 推薦者 | 7000円 | 年一冊 |
| 東洋音楽学会 | なし | 8000円 | 年一冊 |
| 歌舞伎学会 | なし | 5000円 | 年二冊 |
| 楽劇学会 | なし | 5000円 | 年一冊 |
| 能楽学会 | なし | 5000円 | 年一冊 |
2017年3月7日火曜日
宝塚と少女歌舞伎
市川少女歌舞伎の関係者が宝塚を引き合いに出すことはよくあるが、逆は珍しい。エデルソン2009で紹介されている大阪日日新聞の記事。以下引用。
「ムスメばかりの歌舞伎」大阪日日新聞1955年2月6日
市川少女歌舞伎、宝塚歌舞伎、アヅマ歌舞伎とこのところ女性の手による歌舞伎公演が盛んに行われている。中でも市川少女歌舞伎と宝塚歌舞伎は同じ女性ばかりの劇団でありながら一方は純歌舞伎、また一つは新しいスタイルの宝塚歌舞伎とその目的を異にしているようだ。そこで少女歌舞伎演技指導の市川升十郎と宝塚の歌舞伎演出家錢谷信昭の両氏にそれぞれのむすめ歌舞伎を語ってもらった。
市川升十郎 うちは現在歌舞伎の大舞台で上演されているのと同じ形式の歌舞伎を、少女たちがそのまま写してやっているので、いまのところ役柄に俳優の個性が演技として出ているようなことはありません。といってたんなる物真似でもないのです。やはり写してあらわす表現力が古典歌舞伎でいうところの演技力といわれるものなのです。セリフも歌舞伎の発声法で訓練しましたので女役の子でさえ一度声をつぶして女性の声を殺してから、歌舞伎の女形と同様、女のつくり声でセリフをいうようになるまでやりたいと思っています。もちろん、生地でみせる女らしい自然な形は一切みとめません。男が女を表現するためにつくられた歌舞伎独特の演技法、これをくずさずに演っていくのが、歌舞伎以外の世界を知らない私たち劇団の進む道だと思っております。
銭谷信昭 宝塚歌舞伎は竹本三蝶一座の〝義太夫に乗せて〟ということになっているため、市川少女歌舞伎のように本格的歌舞伎をすることは出来ません。またそれでいいのだと思います。宝塚のように新しいものの先端をいく人たちが演ると古いものも全然ちがった新鮮なものとなって生れかわるのです。宝塚では三百六十五日歌舞伎をやっていない。バレエも声楽も、日舞も芝居も生徒はあらゆるものを身につけ、それをその時その時に実に器用にこなしていっていますが、そのため日本舞踊にダンスの手が見えたり、バレエに日本舞踊の身のこなしがみえたりもする。これが宝塚の味なのです。だから歌舞伎に宝塚の天津、春日野の型が生れてもいいのではないでしょうか。古いものに頼るという消極的な態度から一歩進んで、その上に新しいものを創作してゆく、これが宝塚歌舞伎の第一の目的です。このあいだの研究会でも私は「箱根霊験記」の演出で時間の推移を照明で工夫したり、スローテンポの立回りを剣劇風な早立回りにしてトンボのいないさびしさをカバーしたり、宝塚に合った歌舞伎の創造に苦心しました。スマートな歌舞伎それがうちの一番の特色です。
「ムスメばかりの歌舞伎」大阪日日新聞1955年2月6日
市川少女歌舞伎、宝塚歌舞伎、アヅマ歌舞伎とこのところ女性の手による歌舞伎公演が盛んに行われている。中でも市川少女歌舞伎と宝塚歌舞伎は同じ女性ばかりの劇団でありながら一方は純歌舞伎、また一つは新しいスタイルの宝塚歌舞伎とその目的を異にしているようだ。そこで少女歌舞伎演技指導の市川升十郎と宝塚の歌舞伎演出家錢谷信昭の両氏にそれぞれのむすめ歌舞伎を語ってもらった。
市川升十郎 うちは現在歌舞伎の大舞台で上演されているのと同じ形式の歌舞伎を、少女たちがそのまま写してやっているので、いまのところ役柄に俳優の個性が演技として出ているようなことはありません。といってたんなる物真似でもないのです。やはり写してあらわす表現力が古典歌舞伎でいうところの演技力といわれるものなのです。セリフも歌舞伎の発声法で訓練しましたので女役の子でさえ一度声をつぶして女性の声を殺してから、歌舞伎の女形と同様、女のつくり声でセリフをいうようになるまでやりたいと思っています。もちろん、生地でみせる女らしい自然な形は一切みとめません。男が女を表現するためにつくられた歌舞伎独特の演技法、これをくずさずに演っていくのが、歌舞伎以外の世界を知らない私たち劇団の進む道だと思っております。
銭谷信昭 宝塚歌舞伎は竹本三蝶一座の〝義太夫に乗せて〟ということになっているため、市川少女歌舞伎のように本格的歌舞伎をすることは出来ません。またそれでいいのだと思います。宝塚のように新しいものの先端をいく人たちが演ると古いものも全然ちがった新鮮なものとなって生れかわるのです。宝塚では三百六十五日歌舞伎をやっていない。バレエも声楽も、日舞も芝居も生徒はあらゆるものを身につけ、それをその時その時に実に器用にこなしていっていますが、そのため日本舞踊にダンスの手が見えたり、バレエに日本舞踊の身のこなしがみえたりもする。これが宝塚の味なのです。だから歌舞伎に宝塚の天津、春日野の型が生れてもいいのではないでしょうか。古いものに頼るという消極的な態度から一歩進んで、その上に新しいものを創作してゆく、これが宝塚歌舞伎の第一の目的です。このあいだの研究会でも私は「箱根霊験記」の演出で時間の推移を照明で工夫したり、スローテンポの立回りを剣劇風な早立回りにしてトンボのいないさびしさをカバーしたり、宝塚に合った歌舞伎の創造に苦心しました。スマートな歌舞伎それがうちの一番の特色です。
2017年1月14日土曜日
「三大地歌舞伎」説への疑問
神奈川県、岐阜県、兵庫県の歌舞伎が「三大地歌舞伎」として紹介されることがあります。例えば、美濃歌舞伎博物館相生座のホームページでは以下のように説明しています。
日本各地で行われている地歌舞伎の中でも、さらに三つの地域のものについては、ある理由から、研究者の間では、日本三大地歌舞伎という呼称で調べられています。
三大地歌舞伎とは
1.小田原を中心とした相模地方の相模歌舞伎
2.中山道美濃の国の美濃歌舞伎
3.西国より京に至る事実上上山陽道の終点ともいえる播磨の国(今の兵庫県)の播州歌舞伎
以上三地方の地歌舞伎を指して呼ばれるものです。
今、国内の各地方で上演されている歌舞伎を含めての素人芝居は、徳川幕府がその支配力を失った19世紀の初頭から全国的に広がりました。(美濃歌舞伎博物館相生座HPより引用)
「三大地歌舞伎」説は、この解説を踏襲するかたちで、岐阜県を中心に全国に広まりつつあります。僕は神奈川県を中心に地芝居の研究をつづけてきましたが、「三大地歌舞伎」説にはいくつかの疑問があります。
「研究者の間では、日本三大地歌舞伎という呼称で調べられています。」とありますが、僕は「三大地歌舞伎」説を採用している研究者を知りません。「農村舞台」研究のパイオニア的存在である松崎茂が神奈川県下の現存舞台の多さに注目したことがあるものの、それを引き継いだ角田一郎以降の研究者は神奈川県の舞台にはそれほど強い関心を示してきませんでした。少なくとも研究上は、神奈川県の地芝居が「三大地歌舞伎」の一角を占めるほど重要視されてきたとはいえません。
また、相模歌舞伎の中心地を小田原としている点も疑問です。小田原には桐座という芝居小屋のあったことが知られていますが、その実態はほとんどわかっていません(今後、荒河純さんの仕事ではっきりしてくるかもしれません)。神奈川県では近世末期から、祭礼等で芝居が上演されてきましたが、小田原から人を呼んだという記録は知りません。グッと時代が降りますが、昭和年間の相模歌舞伎というと、三桝源五郎や市川柿之助といった名前が知られており、この人たちは、座間、厚木、海老名といった「県央」地区を中心に活動していました。相模歌舞伎の中心地は県央で、小田原は歌舞伎よりも相模人形芝居のほうが盛んという印象があります。
神奈川で芝居をしている者として、「三大地歌舞伎」のひとつに数えていただけるのはありがたいのですが、根拠のはっきりしない状態で紹介されるのはどうもスッキリしません。地芝居(地歌舞伎)の概説で「三大地歌舞伎」説を採用されるのであれば、誰がどこで言いはじめたことなのかはっきりさせて欲しいです。
2016年5月9日月曜日
2015年10月15日木曜日
中村少女歌舞伎について
中村少女歌舞伎は長野県岸野村(現佐久市)で結成された劇団。
1954年に浅草松竹演芸場で公演を行っている。
津屋三郎「小学生ばかりの劇団中村少女歌舞伎楽屋訪問記」(『主婦と生活』1954年3月号)によると…
1954年に浅草松竹演芸場で公演を行っている。
津屋三郎「小学生ばかりの劇団中村少女歌舞伎楽屋訪問記」(『主婦と生活』1954年3月号)によると…
- 1944年1月に岸野劇場で行われた地芝居に出演し、四幕を披露。
- 上山田温泉の旅館が藝者たちに芝居をやらせるためにつくった衣装とかつらを借りる。
- 地元有力者が後援会を結成。村長、教育委員、信越放送社長らが名を連ねる。
- 師匠は女役者の中村千鶴。中村新玉の弟子で、「五十五六と見えるかっぷくのいいご婦人」。
- 座員は、中村ゆき子(四年生)、中村千づる(六年生)、中村テル子(三年生)、市川京子(四年生)、中村タカ子(四年生)、中村松江(四年生)、中村幸子(四年生)。全員小学生。
- 竹本は竹本津賀子、豊竹豊司。
- レパートリーは、『熊谷陣屋』、『二十四孝』、『太閤記十段目』、『鎌倉三代記』、『阿波鳴戸』、『奥州安達ヶ原』、『源平布引』、『菅原伝授』、『車引』、『忠臣蔵七段目』、『刈萱』等々。
- 東京公演は松竹演芸場の支配人が評判を聞きつけて、信州まで見物に行って、交渉が成立して実現。
2015年9月1日火曜日
2015年学生歌舞伎上演スケジュール
今年度の学生歌舞伎の上演スケジュールをまとめました。
詳細な情報はリンク先を参照してください。
11月1日(日)
日本大学藝術学部歌舞伎・舞踊研究会
『恋飛脚大和往来』「新口村の場」
日本大学芸術学部江古田校舎北棟中ホール
11月22日(日)
慶應義塾大学歌舞伎研究会
『籠釣瓶花街酔醒』「縁切り」「殺しの場」
慶應義塾大学三田キャンパス
12月19日(土)
明治大学歌舞伎研究会
『白浪五人男』「浜松屋の場」
明治大学猿楽町校舎
詳細な情報はリンク先を参照してください。
11月1日(日)
日本大学藝術学部歌舞伎・舞踊研究会
『恋飛脚大和往来』「新口村の場」
日本大学芸術学部江古田校舎北棟中ホール
11月22日(日)
慶應義塾大学歌舞伎研究会
『籠釣瓶花街酔醒』「縁切り」「殺しの場」
慶應義塾大学三田キャンパス
12月19日(土)
明治大学歌舞伎研究会
『白浪五人男』「浜松屋の場」
明治大学猿楽町校舎
2015年1月7日水曜日
『ひばりの三役 競艶雪之丞変化』の劇中劇
市川少女歌舞伎が劇中劇で出演した美空ひばり版『雪之丞変化』について。
『ひばりの三役 競艶雪之丞変化』と『ひばりの三役 続競艶雪之丞変化』の前後編。
1957年制作、新東宝、渡辺邦男監督。
僕が見たのは、クラリオンソフト新東宝名画シリーズのVHS(ソフトのタイトルは『美空ひばりの競艶雪之丞変化』)。
ひばりは雪之丞、闇太郎、雪之丞母お園の三役。
雪之丞の師匠、菊之丞に市川門三郎が出ている。門三郎は翌1958年に大歌舞伎に復帰するから、このころは「かたばみ座」に出ていたのだろうか。時期は少しずれるが、ひばりと門三郎には、横浜の杉田劇場に出演していたという共通点がある。杉田劇場でもそうだったが、門三郎は、自分の一座を率いて芝居をしていたから、菊之丞のキャラクターと重なっておもしろい。
市川少女歌舞伎は「劇中劇 市川少女歌舞伎劇団」として出演。クレジットには「美寿次、寿々女、姫升、福升、三福、梅升、他」とそれぞれの名前も出ている。劇中劇以外の登場シーンはなし。
劇中劇の一覧とひばりの役所は以下の通り(いずれも推測)。
【前編】
口上(女方の拵え)
戻橋(小百合)
浜松屋(弁天)
落人(お軽)
【後編】
将門(滝夜叉姫)
廿四孝奥庭(八重垣姫)
河庄(小春)
おまつり?(女伊達)
『ひばりの三役 競艶雪之丞変化』と『ひばりの三役 続競艶雪之丞変化』の前後編。
1957年制作、新東宝、渡辺邦男監督。
僕が見たのは、クラリオンソフト新東宝名画シリーズのVHS(ソフトのタイトルは『美空ひばりの競艶雪之丞変化』)。
ひばりは雪之丞、闇太郎、雪之丞母お園の三役。
雪之丞の師匠、菊之丞に市川門三郎が出ている。門三郎は翌1958年に大歌舞伎に復帰するから、このころは「かたばみ座」に出ていたのだろうか。時期は少しずれるが、ひばりと門三郎には、横浜の杉田劇場に出演していたという共通点がある。杉田劇場でもそうだったが、門三郎は、自分の一座を率いて芝居をしていたから、菊之丞のキャラクターと重なっておもしろい。
市川少女歌舞伎は「劇中劇 市川少女歌舞伎劇団」として出演。クレジットには「美寿次、寿々女、姫升、福升、三福、梅升、他」とそれぞれの名前も出ている。劇中劇以外の登場シーンはなし。
劇中劇の一覧とひばりの役所は以下の通り(いずれも推測)。
【前編】
口上(女方の拵え)
戻橋(小百合)
浜松屋(弁天)
落人(お軽)
【後編】
将門(滝夜叉姫)
廿四孝奥庭(八重垣姫)
河庄(小春)
おまつり?(女伊達)
ひばりの雪之丞を見せるためなのか、市川少女歌舞伎の座員にたっぷり見せ場があるわけではない。
それでも、前編では『浜松屋』の南郷の科白が聞けるし、後編では『おまつり(のような出し物)』でトンボを切るところが見られる。大劇場に出演していた頃の市川少女歌舞伎を見られるという意味では貴重だろう(本作の他には演劇博物館が『傾城阿波の鳴門』の映像を持っている)。
本作では、雪之丞が女であることを隠しているというのが趣向となっている。よって、雪之丞の相手役は男であると考えられる。が、それをいうのは野暮だろう。当時20歳のひばりと体格的、年齢的な釣り合いが取れていて、劇中劇の中でひばりが変に浮かないで見えた。
2014年12月19日金曜日
学生歌舞伎の文献リスト
学生歌舞伎・学士俳優の文献リストを作成中です。
「歌舞伎と学生演劇」『幕間』03(01) 1948.01
戸板康二「学生歌舞伎その他」
大木豊「歌舞伎を愛する若き同志へ」
坂東蓑助「学生歌舞伎些言」
三島由紀夫「學生歌舞伎氣質」『小説新潮』6(1) 1952-01
三島由紀夫「學生歌舞伎氣質」『小説新潮』6(1) 1952-01
内海繁太郎「学生歌舞伎を見て」『幕間』07(10) 1952.10
北島富士子「學生歌舞伎を見る」『演劇界』10(11) 1952
「学士俳優打明け話」『幕間』11(8)1956.07
舟木みどり「劇談広場 思うまま(学士俳優の皆さんへ)」『幕間』11(12) 1956.12
内海繁太郎「学生歌舞伎なるもの」『演劇界』14(5) 1956.07
『大学歌舞伎研究』発会記念号 1957.01
大谷正弥「学生歌舞伎一年の記」『芸術新潮』8(6) 1957.06
「演劇学科上演目録」『演劇修行』5 1958.03
「各大学の歌舞伎研究」『藝能』6 1959.07
J・R・ブランドン「日大歌舞伎をみて」『演劇修行』9 1961.12
田中稔(立教大学)「大学歌舞伎研究連盟合同公演に思う」『大学歌舞伎研究』6 1962.04
川合郁男「三十七年度合同公演中間報告」『大学歌舞伎研究』7 1963.04
岩崎輝行「三十六年度大学歌舞伎連盟合同公演総括」『大学歌舞伎研究』7 1963.04
江原伸吉(立教大学歌舞伎研究会)「若い言葉(大学生の発言)学生と歌舞伎」『演劇界』24(6) 1966.05
「特集・学生歌舞伎」『大学歌舞伎研究』10 1966.11
小楽崎正義「学生歌舞伎は存在しうるか=その二つの可能性=」
喜世流浄舎「学生歌舞伎論のために=一橋の場合=」
川合和男「実演校と研究校」
細野義昭(明治大学歌舞伎研究会)「「学生歌舞伎」―四十年度の公演と反省―」
橋本公子(実践女子大学)「学生歌舞伎を観て」
川合和男(青山学院大学)「増田大道具と学生歌舞伎=学生歌舞伎に反省を請う=」
青木誠司(早大歌舞伎研究会)「《学生歌舞伎》論争に寄せて」『大学歌舞伎研究』11 1967.09
成瀨正とし「「學生歌舞伎氣質」考」 『ホトトギス』76(12)(924) 1973-12
成瀨正とし「「學生歌舞伎氣質」考」 『ホトトギス』76(12)(924) 1973-12
土岐迪子「嵐徳三郎と語る60分」『演劇界』38(4) 1980
「特集I 当今若者歌舞伎気質」『演劇界』53(12) 1995-10
高橋美江「大学歌舞伎研究会言いたい放題」
玉垣凪和三「日本大学・法政大学・慶應義塾大学・日本女子大学」
濱村道哉「わが青春の観劇日記」
橋本治「なにか本筋とは違うことをやっていた」
葛西聖司「赤い盃」
日本大学芸術学部「ああ芝居の幕があく」
原一平「日大歌舞伎いまむかし」
河村常雄「趣味が身を助く」
「嵐徳三郎歌舞伎の青春」
「天井棧敷の若者たち・古今ファン気質・気になるひいき役者の人気度」
船木浩司『七代目嵐徳三郎伝―歌舞伎ざんまい幕のうちそと』、2003、東方出版。
「特集I 当今若者歌舞伎気質」『演劇界』53(12) 1995-10
高橋美江「大学歌舞伎研究会言いたい放題」
玉垣凪和三「日本大学・法政大学・慶應義塾大学・日本女子大学」
濱村道哉「わが青春の観劇日記」
橋本治「なにか本筋とは違うことをやっていた」
葛西聖司「赤い盃」
日本大学芸術学部「ああ芝居の幕があく」
原一平「日大歌舞伎いまむかし」
河村常雄「趣味が身を助く」
「嵐徳三郎歌舞伎の青春」
「天井棧敷の若者たち・古今ファン気質・気になるひいき役者の人気度」
船木浩司『七代目嵐徳三郎伝―歌舞伎ざんまい幕のうちそと』、2003、東方出版。
~各大学歌舞伎研究会記念誌~
明治大学歌舞伎研究会四十周年記念誌編集委員会編『明治大学歌舞伎研究会四十周年記念誌』、1989
学習院國劇部五十周年記念事業記念誌編集委員会『國劇部五十年史』、1997
学習院國劇部五十周年記念事業記念誌編集委員会『國劇部五十年史』、1997
慶応義塾大学歌舞伎研究会八十年史編集委員会編『慶応義塾大学歌舞伎研究会八十年史』、2006
早稲田大学歌舞伎研究会六十年誌編集委員会編『早稲田大学歌舞伎研究会六十年誌』、2007
2014年8月2日土曜日
かたばみ座の文献リスト
最後の小芝居といわれる「かたばみ座」について調べています。
少しずつ追加中。
『演劇界』
その他雑誌
少しずつ追加中。
『演劇界』
- 不明「休憩時間 かたばみ座 舞踊會 舞台裝置 兒童劇」『演劇界』9(6)1951年6月
- 守美雄「かたばみ座--展望台」『演劇界』9(10)1951年10月
- 編集部「小芝居の生態((かたばみ座見物))」『演劇界』11(2)1953年2月
- 守美雄「かたばみ座その後」『演劇界』13(4)1955年4月
- 守美雄「かたばみ座のその後」『演劇界』13(11)1955年10月
- 守美雄「再起をはかるかたばみ座」『演劇界』13(12)1955年12月
- 編集部「かたばみ座公演<安達原・蘭蝶>」『演劇界』15(3)1957年3月
- 利「灯は消えなんとす≪かたばみ座≫」『演劇界』15(9) 1957年8月
- 不明「かたばみ座を見る」『演劇界』16(2)1958年2月
- 藤田洋「記録と劇評 かたばみ座の危機 <浅草すみだ劇場>」『演劇界』16(10)1958年9月
- 守美雄「かたばみ座評について」『演劇界』16(11)1958年10月
- 新富朝一「今月の話題 かたばみ座新春公演」『演劇界』17(2)1959年2月
- 藤田洋「竹若奮演のかたばみ座」『演劇界』18(1)1960年1月
- 不明「特集 歌舞伎ソヴィエトアルバム かたばみ座一日都心進出」『演劇界』19(9)1961月9月
- 藤田洋「夏芝居二題〈若手勉強会とかたばみ座〉」『演劇界』19(9)1961年9月
- 丹羽敬忠「かたばみ座特別公演『鶯塚』をみる」『演劇界』20(1)1962年1月
- 不明「見・聞・読 ・かたばみ座公演」『演劇界』21(1)1963年1月
- 小西千鶴「かたばみ座の『忠節女夫松』を見る」『演劇界』21(5)1963年5月
- 宮川鉱一「頑張れ!かたばみ座」『演劇界』22(2)1964年2月
- 守美雄「かたばみ座その後」『演劇界』22(10)1964年9月
- 「小芝居のはなし」『演劇界』26(3) 1968年3月
安藤鶴夫「〈小芝居〉にあったもの」
三宅三郎「小芝居の演技」
浜村米蔵「緞帳芝居」
秋山安三郎「小芝居の餓鬼ども」
藤浦富太郎「明治~大正・小芝居見聞記」
山口廣一「京阪の小芝居」
北村栄造「公園裏の宮戸座」
戸部銀作「戦災までの寿劇場」
守美雄「小芝居の挽歌」
編集部「小芝居についての補遺」 - 「懐しい東京の小芝居」『演劇界』40(9) 1982年8月
加太こうじ「小芝居のおもしろ味」
服部幸雄「江戸時代の小芝居」
志野葉太郎「懐しい小芝居の役者たち」
阿部優蔵「小芝居の劇場」
守美雄「かたばみ座顛末記」
「わたしと小芝居」
その他雑誌
- 三宅周太郞「かたばみ座の「河庄」 」『放送文化』6(5) 1951年
- 田村章作「かたばみ座と松竹新喜劇」『舞台展望』2(11) 1952年
- 福田定良「「かたばみ座」雑感」『演劇評論』1(3) 1953年
- 奥野信太郎「かたばみ座雑感」『文學界』7(5) 1953年
- 田口栄一「“かたばみ座所見記”(小芝居に就いて)」『歌舞伎研究』1 1954年
- 塩野谷恵彦「幸運な「かたばみ座」--三月名古屋興行」『演劇評論』2(3) 1954年
- 川上桂司「劇評 かたばみ座寸感」『桃源』(51) 1956年
- 「かたばみ座一代記」『週刊新潮』2(7)(54) 1957年
- 塚田圭一「小芝居の聞書―坂東鶴蔵の話―」『芸能復興』14 1957年
- 坂東鶴蔵「「かたばみ座」顛末記―危機に立つ小芝居―」『芸術新潮』8(5) 1957年
- 郡司正勝「かたばみ座の特別公演」『芸能』4(2) 1962年
- 添田友道「すみだ劇場満員のこと―「坂東鶴蔵追善の催し」―」『中央公論』84(10)(986) 1969年
- 菊池明、内山美樹子「大正・昭和期の小芝居≪四世坂東鶴蔵旧蔵台本・書抜の紹介と覚え書」『演劇研究』4 1970年
- 落合清彦「興行師聞書き≫かたばみ座始末記」『伝統芸術』2 1971年
- 沢村可川、中村義裕「小芝居≫聞き書き 沢村可川≪付、かたばみ座上演年表」『歌舞伎 研究と批評』11 1993年
単行本
- 阿部優蔵『東京の小芝居』1970年 演劇出版社
- 関容子『花の脇役』1996年 新潮社
2014年4月5日土曜日
地芝居の「地」とは
芸能研究の用語として、地芝居の「地」はどのように理解されてきたのだろうか。
①飯塚友一郎
村芝居とか田舎芝居とか一口に言つてもいろ/\な形があつた。まづ買芝居と地芝居(地狂言)とを分けてみなければならない。買芝居といふのは旅芝居もしくは他村の芝居を買つてくるのである。(中略)地芝居といふのは、その土地の芝居好きが道樂でやる素人芝居で、花と稱する祝儀を當てにして、多少は自腹を切つて催す、これも勿論村中へ只で公開する芝居である。(飯塚友一郎、1943、『藝能文化論』、鶴書房)
②池田弥三郎
地芝居とは村芝居のことだが、その「地」は地狂言・地歌舞伎などの「地」で、素人のことである。そして、地方廻りの劇団をやとって来て上演するものまで含めてそういう場合には、「地」の意味がまじって来て、中央に対するローカルということになる。一般に、右の両義をあわせもって使われているようだ。(富安風生編、1959、『俳句歳時記(全五巻)秋の部』、平凡社)
③郡司正勝
この「地」は、土地の芝居の意味で、「地唄」とおなじ原意である。いつ頃から使いはじめたのか不明であるが、元禄初年には、すでに「地しばゐ」の名称があり、土着の役者のことを「地役者」ということばもある。「田舎芝居」という場合もあるが、これは、都市から云った立場の言葉であり、「地芝居」の場合は、土地から、都市を意識して、対立させた言葉である。(郡司正勝、1971、『地芝居と民俗』、岩崎美術社)
④服部幸雄
村芝居にも、前述した「旅芝居」の一座を雇い入れて芝居を上演してもらう「買芝居」「請芝居」と、農民(山村や漁撈の民もある)自身が演ずる「地芝居」の別がある。「地」は地酒、地ビールなどの「地」で、「田舎」または「地方のひなびた土地に独特のもの」の意味で冠せたことばである。(服部幸雄、1999、『歌舞伎ことば帖』、岩波書店)
①の飯塚と②の池田は「地」を「素人」の意であるとしている。遊女に対する地女(じおんな)の「地」に相当し、「(その道の商売人に対して)素人(しろうと)」の意である。対して、③の郡司と④の服部は「地」を「土地」の意であるとしている。現在ではこちらの解釈のほうが一般的になっている印象であろう。旅回りのかぶき劇団が姿を消し、買芝居と地芝居を取り立てて区別する必要も無くなっている。
池田弥三郎が「『地』の意味がまじって来て」いると指摘しているところが興味深い。一方で、服部幸雄は買芝居と地芝居の峻別をしているのにもかかわらず、「地」を土地の意味のみで解釈している。
ちなみに、岐阜県を中心によく使われている「地歌舞伎」ということば。これまでに僕がみつけたなかでは、この池田弥三郎がいちばん古い用例である。
①飯塚友一郎
村芝居とか田舎芝居とか一口に言つてもいろ/\な形があつた。まづ買芝居と地芝居(地狂言)とを分けてみなければならない。買芝居といふのは旅芝居もしくは他村の芝居を買つてくるのである。(中略)地芝居といふのは、その土地の芝居好きが道樂でやる素人芝居で、花と稱する祝儀を當てにして、多少は自腹を切つて催す、これも勿論村中へ只で公開する芝居である。(飯塚友一郎、1943、『藝能文化論』、鶴書房)
②池田弥三郎
地芝居とは村芝居のことだが、その「地」は地狂言・地歌舞伎などの「地」で、素人のことである。そして、地方廻りの劇団をやとって来て上演するものまで含めてそういう場合には、「地」の意味がまじって来て、中央に対するローカルということになる。一般に、右の両義をあわせもって使われているようだ。(富安風生編、1959、『俳句歳時記(全五巻)秋の部』、平凡社)
③郡司正勝
この「地」は、土地の芝居の意味で、「地唄」とおなじ原意である。いつ頃から使いはじめたのか不明であるが、元禄初年には、すでに「地しばゐ」の名称があり、土着の役者のことを「地役者」ということばもある。「田舎芝居」という場合もあるが、これは、都市から云った立場の言葉であり、「地芝居」の場合は、土地から、都市を意識して、対立させた言葉である。(郡司正勝、1971、『地芝居と民俗』、岩崎美術社)
④服部幸雄
村芝居にも、前述した「旅芝居」の一座を雇い入れて芝居を上演してもらう「買芝居」「請芝居」と、農民(山村や漁撈の民もある)自身が演ずる「地芝居」の別がある。「地」は地酒、地ビールなどの「地」で、「田舎」または「地方のひなびた土地に独特のもの」の意味で冠せたことばである。(服部幸雄、1999、『歌舞伎ことば帖』、岩波書店)
①の飯塚と②の池田は「地」を「素人」の意であるとしている。遊女に対する地女(じおんな)の「地」に相当し、「(その道の商売人に対して)素人(しろうと)」の意である。対して、③の郡司と④の服部は「地」を「土地」の意であるとしている。現在ではこちらの解釈のほうが一般的になっている印象であろう。旅回りのかぶき劇団が姿を消し、買芝居と地芝居を取り立てて区別する必要も無くなっている。
池田弥三郎が「『地』の意味がまじって来て」いると指摘しているところが興味深い。一方で、服部幸雄は買芝居と地芝居の峻別をしているのにもかかわらず、「地」を土地の意味のみで解釈している。
ちなみに、岐阜県を中心によく使われている「地歌舞伎」ということば。これまでに僕がみつけたなかでは、この池田弥三郎がいちばん古い用例である。
2014年3月17日月曜日
市川少女歌舞伎公演記録(市川升十郎『かぶき人生』豊文堂1983年より)
※年号は西暦に改めた。
1953年
2月三越劇場(東京)
3月浜松座(静岡県浜松)
5月明治座(東京)
6月文楽座(大阪四ツ橋)
7月浜松座(静岡県)
8月文楽座(大阪四ツ橋)
9月より地方公演
1954年
1月八千代劇場(神戸市)
4月文楽座(大阪四ツ橋)
6月南座(京都)
8月明治座(東京)
9月南座(京都)
11月中座(大阪)
12月御園座(名古屋)
1955年
1月南座(京都)
2月中座(大阪)
2月御園座(名古屋)
3月東横ホール(東京)
5月南座(京都)
6月浜松座(静岡県)
7月中座(大阪)
8月明治座(東京)
12月御園座(名古屋)
1956年
1月浜松座(静岡県)
2月南座(京都)
3月中座(大阪)
5月東横ホール(東京)
6月地方公演(東北北海道)
8月御園座(名古屋)
9月南座(京都)
10月地方公演(九州)
11月東横ホール(東京)
12月地方公演(静岡県下)
1957年
1月九州公演
2月南座(京都)
3月丹波地公演(三ヶ月)
6月南座
7月中座(大阪)
7月御園座
8月浜松座(静岡県)
9月・10月浜松座他地方公演
11月東横ホール(東京)
12月御園座(名古屋)
1958年
1月~3月地方公演
4月東横ホール(東京)
5月・6月地方公演
7月常盤座(東京浅草)
8月・9月・10月東北北海道地方公演
12月御園座(名古屋)
1959年
1月・2月地方公演(静岡県下)
3月東横ホール(東京)
4月・5月・6月・7月地方公演
8月御園座(名古屋)
8月南座(京都)
9月・10月・11月 九州巡業
12月御園座(名古屋)
12月新宿第一劇場(東京)
1960年
1月大阪毎日ホール(大阪)
2月地方公演
3月新宿第一劇場
4月豊川市国府町霞座経営す
5月新宿第一劇場にて市川女優座改名披露公演(東京)
6月御園座にて改名披露公演(名古屋)
8月京都南座公演
1961年
1月大阪毎日ホール(大阪)
1962年
東京読売ホール
以後商業劇場出演を中止し社会福祉事業にのみ協賛出演し、今日に至る。
1953年
2月三越劇場(東京)
3月浜松座(静岡県浜松)
5月明治座(東京)
6月文楽座(大阪四ツ橋)
7月浜松座(静岡県)
8月文楽座(大阪四ツ橋)
9月より地方公演
1954年
1月八千代劇場(神戸市)
4月文楽座(大阪四ツ橋)
6月南座(京都)
8月明治座(東京)
9月南座(京都)
11月中座(大阪)
12月御園座(名古屋)
1955年
1月南座(京都)
2月中座(大阪)
2月御園座(名古屋)
3月東横ホール(東京)
5月南座(京都)
6月浜松座(静岡県)
7月中座(大阪)
8月明治座(東京)
12月御園座(名古屋)
1956年
1月浜松座(静岡県)
2月南座(京都)
3月中座(大阪)
5月東横ホール(東京)
6月地方公演(東北北海道)
8月御園座(名古屋)
9月南座(京都)
10月地方公演(九州)
11月東横ホール(東京)
12月地方公演(静岡県下)
1957年
1月九州公演
2月南座(京都)
3月丹波地公演(三ヶ月)
6月南座
7月中座(大阪)
7月御園座
8月浜松座(静岡県)
9月・10月浜松座他地方公演
11月東横ホール(東京)
12月御園座(名古屋)
1958年
1月~3月地方公演
4月東横ホール(東京)
5月・6月地方公演
7月常盤座(東京浅草)
8月・9月・10月東北北海道地方公演
12月御園座(名古屋)
1959年
1月・2月地方公演(静岡県下)
3月東横ホール(東京)
4月・5月・6月・7月地方公演
8月御園座(名古屋)
8月南座(京都)
9月・10月・11月 九州巡業
12月御園座(名古屋)
12月新宿第一劇場(東京)
1960年
1月大阪毎日ホール(大阪)
2月地方公演
3月新宿第一劇場
4月豊川市国府町霞座経営す
5月新宿第一劇場にて市川女優座改名披露公演(東京)
6月御園座にて改名披露公演(名古屋)
8月京都南座公演
1961年
1月大阪毎日ホール(大阪)
1962年
東京読売ホール
以後商業劇場出演を中止し社会福祉事業にのみ協賛出演し、今日に至る。
2014年2月18日火曜日
少女歌舞伎の雑誌記事
少女歌舞伎の雑誌記事リストです。
市川少女歌舞伎を中心にそれ以外も。
T特派記者「珍らしい少女歌舞伎劇団」『少女の友』45(10)、1952-10
座間「芸能・檜舞台にのぼる少女歌舞伎」『家庭よみうり』(335)、1953-02
木村菊太郎「清純な市川少女歌舞伎--十二月名古屋新歌舞伎座から」『幕間』8(2)、1953-02
戶板康二「【時論要解】(文化)『少女歌舞伎』の出現」『時事通信』(2197)、1953-03
「女のグループ(市川少女歌舞伎の巻)」『婦人生活』7(5)、1953-04
「抄色大特集 各界おもしろ帖 芸能放送 大人気の少女歌舞伎」『富士』6(6)、1953-05
戸板康二「市川少女歌舞伎」『芸術新潮』4(7)、1953-07
大鋸時生「市川少女歌舞伎の行先き--大阪文楽座十一月興行」『演劇評論』1(4)、1953-12
津屋三郎「小学生ばかりの劇団 中村少女歌舞伎楽屋訪問記」『主婦と生活』9(3)、1954-03
利倉幸一「少女歌舞伎について--明治座」『演劇界』12(9)、1954-09
「市川少女歌舞伎の人々と語る」『幕間』9(9)、1954-09
「市川少女歌舞伎楽屋訪問」『婦人倶楽部』35(10)、1954-10
竹下竹翁「少女歌舞伎を覗いて」『新文明』4(11)、1954-11
秋山安三郎「鼻高し・少女歌舞伎--八月の明治座」『演劇界』13(10)、1955-09
「少女歌舞伎のマスコット」『サングラフ』 5(10)(45)、1955-10
岡部冬彦「アツカマ氏の美人列車 市川少女歌舞伎の巻」『面白倶楽部』8(13)、1955-11
宮柊二「グラビヤ☆現代の女性=市川少女歌舞伎☆カメラ自叙伝」『週刊サンケイ』5(23)(225)、1956-06
「愉しきかな少女歌舞伎 市川少女歌舞伎座談会」 『婦人倶楽部』38(1)、1957-01
黒田誠之 市川美寿次「婚期がきた少女歌舞伎」『週刊東京』4(17)(136)、1958-04
大木豊「特別読物 思春期に達した市川少女歌舞伎」『週刊東京』4(27)(146)、1958-07
佐々木頼子「野趣に富む「お七」――常磐座少女歌舞伎」『劇評』 9(8)、1958-07
「少女歌舞伎〝車引〟奉納」『サングラフ』10(2)(97)、1960-02
「女になった少女歌舞伎・主役の表情」『週刊新潮』5(11)(214)、1960-03
「伊那谷に少女歌舞伎あり」『週刊新潮』33(47)(1687)、1988-12
市川少女歌舞伎を中心にそれ以外も。
T特派記者「珍らしい少女歌舞伎劇団」『少女の友』45(10)、1952-10
座間「芸能・檜舞台にのぼる少女歌舞伎」『家庭よみうり』(335)、1953-02
木村菊太郎「清純な市川少女歌舞伎--十二月名古屋新歌舞伎座から」『幕間』8(2)、1953-02
戶板康二「【時論要解】(文化)『少女歌舞伎』の出現」『時事通信』(2197)、1953-03
「女のグループ(市川少女歌舞伎の巻)」『婦人生活』7(5)、1953-04
「抄色大特集 各界おもしろ帖 芸能放送 大人気の少女歌舞伎」『富士』6(6)、1953-05
戸板康二「市川少女歌舞伎」『芸術新潮』4(7)、1953-07
大鋸時生「市川少女歌舞伎の行先き--大阪文楽座十一月興行」『演劇評論』1(4)、1953-12
津屋三郎「小学生ばかりの劇団 中村少女歌舞伎楽屋訪問記」『主婦と生活』9(3)、1954-03
利倉幸一「少女歌舞伎について--明治座」『演劇界』12(9)、1954-09
「市川少女歌舞伎の人々と語る」『幕間』9(9)、1954-09
「市川少女歌舞伎楽屋訪問」『婦人倶楽部』35(10)、1954-10
竹下竹翁「少女歌舞伎を覗いて」『新文明』4(11)、1954-11
秋山安三郎「鼻高し・少女歌舞伎--八月の明治座」『演劇界』13(10)、1955-09
「少女歌舞伎のマスコット」『サングラフ』 5(10)(45)、1955-10
岡部冬彦「アツカマ氏の美人列車 市川少女歌舞伎の巻」『面白倶楽部』8(13)、1955-11
宮柊二「グラビヤ☆現代の女性=市川少女歌舞伎☆カメラ自叙伝」『週刊サンケイ』5(23)(225)、1956-06
「愉しきかな少女歌舞伎 市川少女歌舞伎座談会」 『婦人倶楽部』38(1)、1957-01
黒田誠之 市川美寿次「婚期がきた少女歌舞伎」『週刊東京』4(17)(136)、1958-04
大木豊「特別読物 思春期に達した市川少女歌舞伎」『週刊東京』4(27)(146)、1958-07
佐々木頼子「野趣に富む「お七」――常磐座少女歌舞伎」『劇評』 9(8)、1958-07
「少女歌舞伎〝車引〟奉納」『サングラフ』10(2)(97)、1960-02
「女になった少女歌舞伎・主役の表情」『週刊新潮』5(11)(214)、1960-03
「伊那谷に少女歌舞伎あり」『週刊新潮』33(47)(1687)、1988-12
2013年12月29日日曜日
市川少女歌舞伎の横浜公演(『神奈川県演劇史』より)
1957年9月11日~15日
横浜国際劇場
創立8周年記念横浜特別公演 夜の部
①義経千本桜
②摂州合邦辻
③鳴神
④弁天娘女男白浪
特400円、350円、250円、三等170円
学生一等250円、170円、三等130円
1957年9月11日~15日
横浜国際劇場
創立8周年記念横浜特別公演 昼の部
①梶原平三誉石切
②傾城阿波鳴門
③太刀盗人
④神霊矢口渡
特400円、350円、250円、三等170円
学生一等250円、170円、三等130円
1957年9月16日~20日
横浜国際劇場
創立8周年記念横浜特別公演 夜の部
①一谷嫩軍記
②棒しばり
③伊勢音頭恋寝刃
④伊達娘恋緋鹿子
特400円、350円、250円、三等170円
学生一等250円、170円、三等130円
1957年9月16日~20日
横浜国際劇場
創立8周年記念横浜特別公演 昼の部
①義経千本桜
②安珍清姫
③勧進帳
④お染久松
特400円、350円、250円、三等170円
学生一等250円、170円、三等130円
横浜国際劇場
創立8周年記念横浜特別公演 夜の部
①義経千本桜
②摂州合邦辻
③鳴神
④弁天娘女男白浪
特400円、350円、250円、三等170円
学生一等250円、170円、三等130円
1957年9月11日~15日
横浜国際劇場
創立8周年記念横浜特別公演 昼の部
①梶原平三誉石切
②傾城阿波鳴門
③太刀盗人
④神霊矢口渡
特400円、350円、250円、三等170円
学生一等250円、170円、三等130円
1957年9月16日~20日
横浜国際劇場
創立8周年記念横浜特別公演 夜の部
①一谷嫩軍記
②棒しばり
③伊勢音頭恋寝刃
④伊達娘恋緋鹿子
特400円、350円、250円、三等170円
学生一等250円、170円、三等130円
1957年9月16日~20日
横浜国際劇場
創立8周年記念横浜特別公演 昼の部
①義経千本桜
②安珍清姫
③勧進帳
④お染久松
特400円、350円、250円、三等170円
学生一等250円、170円、三等130円
社団法人横浜演劇研究所編『神奈川県演劇史』1994年より
2013年11月2日土曜日
学生歌舞伎2013秋
学生歌舞伎の上演スケジュールをまとめました。
法政大学歌舞伎研究会
11月1日,11月2日 13時〜、16時〜
外濠校舎S523〜S526
「伊勢音頭恋寝刃」
無料
https://twitter.com/hosei_kabken
日本大学芸術学部歌舞伎・舞踊研究会
平成25年度 芸術祭公演
11月2日 13時〜
日本大学芸術学部 江古田校舎 中ホール
『新版歌祭文 野崎村の場』
無料
http://ameblo.jp/nichigeikabuki/
学習院大学国劇部
11月4日 12時30分〜 14時30分〜
富士見ホール
『本朝廿四孝 十種香の場』(試演会)
http://kokugeki.blog102.fc2.com/
慶應大学歌舞伎研究会
第54回 慶應大歌舞伎
11月23日 11時30分~
慶應義塾大学三田キャンパス 527教室
研究公演『雪暮夜入谷畦道』より入谷蕎麦屋の場(新入生による)
本公演 『雪暮夜入谷畦道』より入谷大口屋寮の場(上級生による)
http://ameblo.jp/keiokabuki/
明治大学歌舞伎研究会
11月30日 13時~、17時~ 開場は30分前
『新皿屋舗月雨暈 魚屋宗五郎』片門前魚屋宗五郎内の場
無料カンパ制・要予約
http://kabukikenkyukai.blog.fc2.com/
法政大学歌舞伎研究会
11月1日,11月2日 13時〜、16時〜
外濠校舎S523〜S526
「伊勢音頭恋寝刃」
無料
https://twitter.com/hosei_kabken
日本大学芸術学部歌舞伎・舞踊研究会
平成25年度 芸術祭公演
11月2日 13時〜
日本大学芸術学部 江古田校舎 中ホール
『新版歌祭文 野崎村の場』
無料
http://ameblo.jp/nichigeikabuki/
学習院大学国劇部
11月4日 12時30分〜 14時30分〜
富士見ホール
『本朝廿四孝 十種香の場』(試演会)
http://kokugeki.blog102.fc2.com/
慶應大学歌舞伎研究会
第54回 慶應大歌舞伎
11月23日 11時30分~
慶應義塾大学三田キャンパス 527教室
研究公演『雪暮夜入谷畦道』より入谷蕎麦屋の場(新入生による)
本公演 『雪暮夜入谷畦道』より入谷大口屋寮の場(上級生による)
http://ameblo.jp/keiokabuki/
明治大学歌舞伎研究会
11月30日 13時~、17時~ 開場は30分前
『新皿屋舗月雨暈 魚屋宗五郎』片門前魚屋宗五郎内の場
無料カンパ制・要予約
http://kabukikenkyukai.blog.fc2.com/
2013年6月11日火曜日
関東地芝居マップ(仮)
関東地方の地芝居マップをつくってみました。
青が地芝居、黄が子ども歌舞伎、赤が学生歌舞伎、緑が芝居小屋・農村舞台です。
クリックするとyoutubeにアップされている動画が出てきます。
より大きな地図で 関東地芝居マップ(仮) を表示
青が地芝居、黄が子ども歌舞伎、赤が学生歌舞伎、緑が芝居小屋・農村舞台です。
クリックするとyoutubeにアップされている動画が出てきます。
より大きな地図で 関東地芝居マップ(仮) を表示
2013年2月2日土曜日
東京教育大学での歌舞伎上演
国劇研究会(文理科大学)
歌舞伎研究会(教育大学)
昭和26年11月18日『勧進帳』、教育大学新聞、昭和26年11月5日。
昭和27年11月23日『忠臣蔵六段目』、教育大学新聞、昭和27年11月15日。
昭和28年11月『一谷嫩軍記 熊谷陣屋の段』、教育大学新聞、昭和28年11月10日。
昭和29年11月7日『鳴神』、教育大学新聞、昭和29年10月25日。
昭和30年11月6日『仮名手本忠臣蔵 六段目』、教育大学新聞、昭和30年10月25日11月10日合併。
昭和31年11月外題不明、教育大学新聞、昭和31年11月10日。
昭和32年11月24日『仮名手本忠臣蔵』、教育大学新聞、昭和32年11月10日。
昭和33年11月外題不明、教育大学新聞、昭和33年11月10日。
昭和34年5月『俊寛』、教育大学新聞、昭和34年4月25日。
昭和35年5月29日『仮名手本忠臣蔵五・六段目』、教育大学新聞、昭和35年5月10日。
昭和27年11月23日『忠臣蔵六段目』、教育大学新聞、昭和27年11月15日。
昭和28年11月『一谷嫩軍記 熊谷陣屋の段』、教育大学新聞、昭和28年11月10日。
昭和29年11月7日『鳴神』、教育大学新聞、昭和29年10月25日。
昭和30年11月6日『仮名手本忠臣蔵 六段目』、教育大学新聞、昭和30年10月25日11月10日合併。
昭和31年11月外題不明、教育大学新聞、昭和31年11月10日。
昭和32年11月24日『仮名手本忠臣蔵』、教育大学新聞、昭和32年11月10日。
昭和33年11月外題不明、教育大学新聞、昭和33年11月10日。
昭和34年5月『俊寛』、教育大学新聞、昭和34年4月25日。
昭和35年5月29日『仮名手本忠臣蔵五・六段目』、教育大学新聞、昭和35年5月10日。
登録:
投稿 (Atom)
