スーパー一座(1979~2008)
主宰:岩田信市・原智彦
指導者:市川升十郎
名古屋むすめ歌舞伎(1983~)
主宰:市川櫻香
指導者:市川梅香、十二代目市川團十郎
南山歌舞伎(2005~2016)
主宰:安田文吉
指導者:中村熊昇
名古屋こども歌舞伎(2009~)
主宰:安田文吉
指導者:中村熊昇
ハラプロジェクト・パンク歌舞伎(2010~)
主宰:原智彦
東海学園歌舞伎(2017~)
主宰:安田文吉
指導者:中村熊昇
2019年1月7日月曜日
2018年12月25日火曜日
スーパー一座と市川升十郎、地芝居。
スーパー一座が市川升十郎の指導を仰いでいた、という話。市川升十郎は、市川少女歌舞伎劇団の指導者として知られる。劇団が商業公演を撤退したのちは、劇団員とともに中部地方を中心に地芝居の師匠として活動していた。スーパー一座成立には、誰にでも歌舞伎を教えてくれる升十郎のような存在が重要だったのではないか。スーパー一座から地芝居の竹本が出たという記述も、同時代演劇と伝統演劇の繋がり方として注目に値する。以下引用。
岩田信市「ロック歌舞伎と大須オペラ」(『自然と文化』77、2005年1月)
手短かに述べた上記のような一座の歴史から、もうお解りかと思うが、我々の求めていたのは伝統の破壊ではなく、むしろ伝統の復活である。ただ、形骸化した様式にとらわれない、というだけのことだ。セリフも台本も自由にいじるが、決してパロディ風に現代化したり、流行のアングラ芝居風にアチャラカにふざけたりはしない。あくまでもオーソドックスである。演技も一座結成以来、かつての少女歌舞伎の指導者、市川升十郎師に型の指導を受け、今でも年一本ずつ、義太夫狂言の指導をあおいでいる。役者の基礎訓練として始めた義太夫節の練習の中から育った竹本団勇は、今ではこの地方で盛んな農村歌舞伎の太夫として、引っぱりだこの欠かせない存在となっている。
2018年12月23日日曜日
ハラプロジェクト『パンク歌舞伎・地獄極楽』
ハラプロジェクト『パンク歌舞伎・地獄極楽』
日時:2018年12月21日~24日(21日19時開演を観劇)
会場:名古屋能楽堂
演出:原智彦
脚本:岩田信市「平家女護ヶ島」
原作:近松門左衛門「平家女護ヶ島」
音楽:TURTLE ISLAND、切腹ピストルズ
10月に国立劇場で芝翫が通し上演を手がけたときと同様に、主宰の原智彦が清盛と俊寛を兼ねる。特に俊寛は原のニンにぴったり。予想以上に歌舞伎のにおいが濃厚で、男性役はせりふを歌舞伎の息で大時代にうたう。対して、女性役は新劇的なせりふまわしでリズムと世界を壊してしまう。千鳥を演じた藤井朋子は例外的に歌舞伎になっていた。女性だから歌舞伎の女方のせりふができないということはない。各地の地芝居、学生歌舞伎、あるいは女流義太夫には、達者に女方を演じる女性がたくさんいる。また、女性役が白塗りやかつらを使わないので、役柄が判然としない。
劇伴のタートルアイランドは歌舞伎の役割で言うと黒御簾であり、浄瑠璃ではなかった。語りもの系の音楽ではないので、義太夫狂言的な音楽劇の快楽に欠けており、基本的にはせりふ劇で運んでいく。例えば、タートルとは別に浄瑠璃として浪曲師やラッパーが入ればもっといいと思う。切腹ピストルズはこのまえの「幽玄」の鼓童のような感じで、演奏と演技を兼ねる。
ツケは最初、揚幕の奥で打っていて非常に違和感あったが、途中から上手に移動して安心した。歌舞伎の息で打つので、見得で声をかけたくなる。今度見るときには声をかけよう。ツケ打ちは頭巾かぶってたが、顔出しでもよいのでは。柝は使わなかった。これはわざとかもしれない。
タテは歌舞伎の語彙で処理しているので、美しいし、安心して見れた。
パンク歌舞伎といっても、タートルアイランドはパンク成分薄め。途中、メセニーみたくなってたし。では、何がパンクかと言うと、歌舞伎を好き勝手にぶんまわす原さんがパンクなのではないかと思った。僕らは歌舞伎出ていても基本的には習ったことをそのままやるように頑張るわけで、ひとりで何かができるわけではない。いまはそれはそれで楽しいのだけど、中高生の頃はそれが負い目だった。その時分に、大須歌舞伎を見ていたらはまっただろう。そういう面でパンクロックに通じる初期衝動を感じた。花組芝居や木ノ下歌舞伎など、歌舞伎をベースにした劇団は他にもあるが、本流の歌舞伎に対する遠慮から知的な処理を施す。ハラプロジェクトは歌舞伎を暴力的に遊び倒す感じがある。こういうものは名古屋だから成立するのではないかと思った。
2017年11月14日火曜日
平成29年度 歌舞伎学会秋季大会
歌舞伎学会の秋季大会で発表します。会員でなくても参加できますので、お気軽にお越しください。舘野の発表は10日の午前中です。
平成29年度 歌舞伎学会秋季大会
12月9日(土)
会場:早稲田大学27号館 地下2階 小野記念講堂
12:30受付開始、13:00大会開始
12月10日(日)
会場:早稲田大学27号館 地下2階 小野記念講堂
9:30受付開始、10:00大会開始
参加費:会員1000円、非会員1500円
懇親会費:6000円
地方巡業で評判となっていた雪之丞一座がついに江戸の中村座に出演する。美空ひばり版『雪之丞変化』はそんな場面から始まる。当時の観客は、劇中劇に出演した市川少女歌舞伎を重ねて見ていたのではないだろうか。市川少女歌舞伎は太平洋戦争後に愛知県豊川市で結成された少女だけで歌舞伎を演じる劇団である。祭礼や地方劇場への出演を経て、1953年2月に三越劇場への出演を果たした。以後、10年弱にわたって、あらゆる商業演劇に伍して、東西の大劇場で公演を行った。
本発表では市川少女歌舞伎のレパートリーを検討する。大劇場進出前から義太夫狂言を中心に豊富な演目を上演していた。例えば、浜松座で1952年7月から9月にかけて行った長期公演では、「十二の替わり」まで演目を入れ替えることができた。東京初出演となった三越劇場公演では昼夜通してすべての演目が義太夫狂言であったが、大劇場には馴染まなかったようだ。以後、劇団はレパートリーの拡充に力を入れる。市川三升、市川海老蔵をはじめとして、市川寿海、尾上松緑、藤間藤子など一線級の指導者のもと、歌舞伎十八番である『勧進帳』、『鳴神』をはじめとして、舞踊、新歌舞伎、新作を取り入れ、地芝居や小芝居と一線を画する演目を揃えていった。
近年の演劇研究では、「女役者」や「少女歌劇」の存在が注目されるようになってきたが、市川少女歌舞伎については基礎的な情報すら知られていない状況にある。今回の発表を少女歌舞伎研究の第一歩としたい。
平成29年度 歌舞伎学会秋季大会
12月9日(土)
会場:早稲田大学27号館 地下2階 小野記念講堂
12:30受付開始、13:00大会開始
12月10日(日)
会場:早稲田大学27号館 地下2階 小野記念講堂
9:30受付開始、10:00大会開始
参加費:会員1000円、非会員1500円
懇親会費:6000円
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市川少女歌舞伎のレパートリーについて
舘野太朗(大阪市立大学都市文化研究センター)
【発表要旨】地方巡業で評判となっていた雪之丞一座がついに江戸の中村座に出演する。美空ひばり版『雪之丞変化』はそんな場面から始まる。当時の観客は、劇中劇に出演した市川少女歌舞伎を重ねて見ていたのではないだろうか。市川少女歌舞伎は太平洋戦争後に愛知県豊川市で結成された少女だけで歌舞伎を演じる劇団である。祭礼や地方劇場への出演を経て、1953年2月に三越劇場への出演を果たした。以後、10年弱にわたって、あらゆる商業演劇に伍して、東西の大劇場で公演を行った。
本発表では市川少女歌舞伎のレパートリーを検討する。大劇場進出前から義太夫狂言を中心に豊富な演目を上演していた。例えば、浜松座で1952年7月から9月にかけて行った長期公演では、「十二の替わり」まで演目を入れ替えることができた。東京初出演となった三越劇場公演では昼夜通してすべての演目が義太夫狂言であったが、大劇場には馴染まなかったようだ。以後、劇団はレパートリーの拡充に力を入れる。市川三升、市川海老蔵をはじめとして、市川寿海、尾上松緑、藤間藤子など一線級の指導者のもと、歌舞伎十八番である『勧進帳』、『鳴神』をはじめとして、舞踊、新歌舞伎、新作を取り入れ、地芝居や小芝居と一線を画する演目を揃えていった。
近年の演劇研究では、「女役者」や「少女歌劇」の存在が注目されるようになってきたが、市川少女歌舞伎については基礎的な情報すら知られていない状況にある。今回の発表を少女歌舞伎研究の第一歩としたい。
2017年3月7日火曜日
宝塚と少女歌舞伎
市川少女歌舞伎の関係者が宝塚を引き合いに出すことはよくあるが、逆は珍しい。エデルソン2009で紹介されている大阪日日新聞の記事。以下引用。
「ムスメばかりの歌舞伎」大阪日日新聞1955年2月6日
市川少女歌舞伎、宝塚歌舞伎、アヅマ歌舞伎とこのところ女性の手による歌舞伎公演が盛んに行われている。中でも市川少女歌舞伎と宝塚歌舞伎は同じ女性ばかりの劇団でありながら一方は純歌舞伎、また一つは新しいスタイルの宝塚歌舞伎とその目的を異にしているようだ。そこで少女歌舞伎演技指導の市川升十郎と宝塚の歌舞伎演出家錢谷信昭の両氏にそれぞれのむすめ歌舞伎を語ってもらった。
市川升十郎 うちは現在歌舞伎の大舞台で上演されているのと同じ形式の歌舞伎を、少女たちがそのまま写してやっているので、いまのところ役柄に俳優の個性が演技として出ているようなことはありません。といってたんなる物真似でもないのです。やはり写してあらわす表現力が古典歌舞伎でいうところの演技力といわれるものなのです。セリフも歌舞伎の発声法で訓練しましたので女役の子でさえ一度声をつぶして女性の声を殺してから、歌舞伎の女形と同様、女のつくり声でセリフをいうようになるまでやりたいと思っています。もちろん、生地でみせる女らしい自然な形は一切みとめません。男が女を表現するためにつくられた歌舞伎独特の演技法、これをくずさずに演っていくのが、歌舞伎以外の世界を知らない私たち劇団の進む道だと思っております。
銭谷信昭 宝塚歌舞伎は竹本三蝶一座の〝義太夫に乗せて〟ということになっているため、市川少女歌舞伎のように本格的歌舞伎をすることは出来ません。またそれでいいのだと思います。宝塚のように新しいものの先端をいく人たちが演ると古いものも全然ちがった新鮮なものとなって生れかわるのです。宝塚では三百六十五日歌舞伎をやっていない。バレエも声楽も、日舞も芝居も生徒はあらゆるものを身につけ、それをその時その時に実に器用にこなしていっていますが、そのため日本舞踊にダンスの手が見えたり、バレエに日本舞踊の身のこなしがみえたりもする。これが宝塚の味なのです。だから歌舞伎に宝塚の天津、春日野の型が生れてもいいのではないでしょうか。古いものに頼るという消極的な態度から一歩進んで、その上に新しいものを創作してゆく、これが宝塚歌舞伎の第一の目的です。このあいだの研究会でも私は「箱根霊験記」の演出で時間の推移を照明で工夫したり、スローテンポの立回りを剣劇風な早立回りにしてトンボのいないさびしさをカバーしたり、宝塚に合った歌舞伎の創造に苦心しました。スマートな歌舞伎それがうちの一番の特色です。
「ムスメばかりの歌舞伎」大阪日日新聞1955年2月6日
市川少女歌舞伎、宝塚歌舞伎、アヅマ歌舞伎とこのところ女性の手による歌舞伎公演が盛んに行われている。中でも市川少女歌舞伎と宝塚歌舞伎は同じ女性ばかりの劇団でありながら一方は純歌舞伎、また一つは新しいスタイルの宝塚歌舞伎とその目的を異にしているようだ。そこで少女歌舞伎演技指導の市川升十郎と宝塚の歌舞伎演出家錢谷信昭の両氏にそれぞれのむすめ歌舞伎を語ってもらった。
市川升十郎 うちは現在歌舞伎の大舞台で上演されているのと同じ形式の歌舞伎を、少女たちがそのまま写してやっているので、いまのところ役柄に俳優の個性が演技として出ているようなことはありません。といってたんなる物真似でもないのです。やはり写してあらわす表現力が古典歌舞伎でいうところの演技力といわれるものなのです。セリフも歌舞伎の発声法で訓練しましたので女役の子でさえ一度声をつぶして女性の声を殺してから、歌舞伎の女形と同様、女のつくり声でセリフをいうようになるまでやりたいと思っています。もちろん、生地でみせる女らしい自然な形は一切みとめません。男が女を表現するためにつくられた歌舞伎独特の演技法、これをくずさずに演っていくのが、歌舞伎以外の世界を知らない私たち劇団の進む道だと思っております。
銭谷信昭 宝塚歌舞伎は竹本三蝶一座の〝義太夫に乗せて〟ということになっているため、市川少女歌舞伎のように本格的歌舞伎をすることは出来ません。またそれでいいのだと思います。宝塚のように新しいものの先端をいく人たちが演ると古いものも全然ちがった新鮮なものとなって生れかわるのです。宝塚では三百六十五日歌舞伎をやっていない。バレエも声楽も、日舞も芝居も生徒はあらゆるものを身につけ、それをその時その時に実に器用にこなしていっていますが、そのため日本舞踊にダンスの手が見えたり、バレエに日本舞踊の身のこなしがみえたりもする。これが宝塚の味なのです。だから歌舞伎に宝塚の天津、春日野の型が生れてもいいのではないでしょうか。古いものに頼るという消極的な態度から一歩進んで、その上に新しいものを創作してゆく、これが宝塚歌舞伎の第一の目的です。このあいだの研究会でも私は「箱根霊験記」の演出で時間の推移を照明で工夫したり、スローテンポの立回りを剣劇風な早立回りにしてトンボのいないさびしさをカバーしたり、宝塚に合った歌舞伎の創造に苦心しました。スマートな歌舞伎それがうちの一番の特色です。
2016年10月4日火曜日
芸能文化研究会第六回研究会
第六回研究会のお知らせです。
来聴歓迎いたします。事前に以下のアドレスまでメールをいただけると幸いです。
geinoubunka〇gmail.com(〇を@に変えてください)
日時:2016年10月29日(土)14時~
会場:早稲田大学人間総合研究センター分室(27-8号館) 高田牧舎2階 (新宿区戸塚町1-101)
舘野太朗
「大劇場時代の市川少女歌舞伎」
《要旨》
市川少女歌舞伎は、太平洋戦争後に愛知県豊川市で結成された、少女だけで歌舞伎を演じる劇団である。同劇団は、1953年2月の三越劇場出演をきっかけに、東京の明治座、東横ホール、名古屋の御園座、京都の南座、大阪の四ツ橋文楽座、中座など、東西の大劇場に次々と進出を果たした。1962年に商業公演から撤退するまでのおよそ10年にわたって、少女(しかも地方出身の!)の演じる歌舞伎が、あらゆるジャンルの商業演劇に伍して大劇場で上演されていたのだ。一般的に歌舞伎は「男性の/大人の/家柄の俳優」によって演じられるものと考えられているが、市川少女歌舞伎はそれとは正反対の属性を持つ「女性の/子どもの/家柄でない俳優」によって演じられていたという点で特筆に値する。
近年の演劇研究においては、「女役者」や「少女歌劇」などの女性の演じる演劇に注目が集まりつつあるが、市川少女歌舞伎に関しては研究対象として未開拓の部分が多い。少女歌劇と歌舞伎の関係に着目した画期的な論集である吉田弥生編著『歌舞伎と宝塚歌劇――相反する、密なる百年』(2014年、開成出版)では、同じく少女の演じる歌舞伎であった宝塚義太夫歌舞伎研究会が取り上げられていたが、残念ながら市川少女歌舞伎への言及は無かった。また、神山彰編『忘れられた演劇』(2014年、森話社)所収の藤井康生「演劇は忘れられる運命にある──戦後の演劇と劇場の変遷」では市川少女歌舞伎に関する記述があるが、同時代の観客の思い出に止まっている。学術的な論考としては、ローレン・エデルソン『ダンジュウロウズ・ガール』(Edelson, Loren. Danjuro’s Girls: Women on the Kabuki Stage. New York: Palgrave Macmillan, 2009)が現時点では唯一となっている。
本報告では、まず、劇団員自身によって書かれた、市川升十郎『かぶき人生』(1983年、豊文堂)、市川梅香『まつば牡丹の記』(1993年、毎日新聞連載)、劇団員へのインタビューを中心に構成された黒川光弘『まぼろしの少女歌舞伎』(1984年、中日新聞連載)の記述を参照して劇団の概要を確認する。さらに、報告者の作成した市川少女歌舞伎上演年表を用いて、大劇場で上演された演目の傾向と変遷について考察を述べる。本報告を歌舞伎における、男性と女性、大人と子ども、都市と地方の関係を考えるきっかけとしたい。日本近代演劇デジタル・オーラル・ヒストリー・アーカイヴ(http://oraltheatrehistory.org/)で、報告者が取材者として関わった、劇団員の市川梅香、市川福升の聞き書きを公開している。事前に参照されたい。
高久舞(國學院大學研究開発推進機構研究開発推進センター客員研究員)
「池田彌三郎を考える ―池田彌三郎の研究史―」
《要旨》
本発表では、民俗芸能研究者としての池田彌三郎の業績を確認した上で、池田の「芸能伝承論」を再考することを目的とする。
大正3年(1914)、銀座の老舗天ぷら屋「天金」の次男として生まれた池田は、昭和6年(1931)、慶應義塾大学経済学部予科に入学するが、3年後に文学部国文科に転科して折口信夫を師事する。昭和12年(1937)に文学部国文科を卒業し、戦後、慶応大学文学部講師、助教を経て教授に就任した。
池田が折口民俗学を継承し論を展開していたことは自明のことであるが、言い換えれば、折口民俗学の解説者でもあった。その上で、独自の芸能伝承論を展開させようという意図もうかがえる。池田は『芸能と民俗学』(岩崎美術社、昭和47年)の中で、「わたしの芸能伝承論は、単なる行動、動作と芸術とのあいだに芸能をおき、どういう条件が、あるいはどういう制約が、芸能をその位置にとどまらしめているのかをみようとするところから出発した」と述べている。芸能とはなにか、芸術とはなにか、民俗芸能とはなにかを、池田彌三郎の研究史を踏まえて今一度考えてみたい。
《参考文献》
『池田彌三郎著作集』(全10巻、角川書店、1979〜1980年)ほか
芸能文化研究会のブログはこちら
来聴歓迎いたします。事前に以下のアドレスまでメールをいただけると幸いです。
geinoubunka〇gmail.com(〇を@に変えてください)
日時:2016年10月29日(土)14時~
会場:早稲田大学人間総合研究センター分室(27-8号館) 高田牧舎2階 (新宿区戸塚町1-101)
舘野太朗
「大劇場時代の市川少女歌舞伎」
《要旨》
市川少女歌舞伎は、太平洋戦争後に愛知県豊川市で結成された、少女だけで歌舞伎を演じる劇団である。同劇団は、1953年2月の三越劇場出演をきっかけに、東京の明治座、東横ホール、名古屋の御園座、京都の南座、大阪の四ツ橋文楽座、中座など、東西の大劇場に次々と進出を果たした。1962年に商業公演から撤退するまでのおよそ10年にわたって、少女(しかも地方出身の!)の演じる歌舞伎が、あらゆるジャンルの商業演劇に伍して大劇場で上演されていたのだ。一般的に歌舞伎は「男性の/大人の/家柄の俳優」によって演じられるものと考えられているが、市川少女歌舞伎はそれとは正反対の属性を持つ「女性の/子どもの/家柄でない俳優」によって演じられていたという点で特筆に値する。
近年の演劇研究においては、「女役者」や「少女歌劇」などの女性の演じる演劇に注目が集まりつつあるが、市川少女歌舞伎に関しては研究対象として未開拓の部分が多い。少女歌劇と歌舞伎の関係に着目した画期的な論集である吉田弥生編著『歌舞伎と宝塚歌劇――相反する、密なる百年』(2014年、開成出版)では、同じく少女の演じる歌舞伎であった宝塚義太夫歌舞伎研究会が取り上げられていたが、残念ながら市川少女歌舞伎への言及は無かった。また、神山彰編『忘れられた演劇』(2014年、森話社)所収の藤井康生「演劇は忘れられる運命にある──戦後の演劇と劇場の変遷」では市川少女歌舞伎に関する記述があるが、同時代の観客の思い出に止まっている。学術的な論考としては、ローレン・エデルソン『ダンジュウロウズ・ガール』(Edelson, Loren. Danjuro’s Girls: Women on the Kabuki Stage. New York: Palgrave Macmillan, 2009)が現時点では唯一となっている。
本報告では、まず、劇団員自身によって書かれた、市川升十郎『かぶき人生』(1983年、豊文堂)、市川梅香『まつば牡丹の記』(1993年、毎日新聞連載)、劇団員へのインタビューを中心に構成された黒川光弘『まぼろしの少女歌舞伎』(1984年、中日新聞連載)の記述を参照して劇団の概要を確認する。さらに、報告者の作成した市川少女歌舞伎上演年表を用いて、大劇場で上演された演目の傾向と変遷について考察を述べる。本報告を歌舞伎における、男性と女性、大人と子ども、都市と地方の関係を考えるきっかけとしたい。日本近代演劇デジタル・オーラル・ヒストリー・アーカイヴ(http://oraltheatrehistory.org/)で、報告者が取材者として関わった、劇団員の市川梅香、市川福升の聞き書きを公開している。事前に参照されたい。
高久舞(國學院大學研究開発推進機構研究開発推進センター客員研究員)
「池田彌三郎を考える ―池田彌三郎の研究史―」
《要旨》
本発表では、民俗芸能研究者としての池田彌三郎の業績を確認した上で、池田の「芸能伝承論」を再考することを目的とする。
大正3年(1914)、銀座の老舗天ぷら屋「天金」の次男として生まれた池田は、昭和6年(1931)、慶應義塾大学経済学部予科に入学するが、3年後に文学部国文科に転科して折口信夫を師事する。昭和12年(1937)に文学部国文科を卒業し、戦後、慶応大学文学部講師、助教を経て教授に就任した。
池田が折口民俗学を継承し論を展開していたことは自明のことであるが、言い換えれば、折口民俗学の解説者でもあった。その上で、独自の芸能伝承論を展開させようという意図もうかがえる。池田は『芸能と民俗学』(岩崎美術社、昭和47年)の中で、「わたしの芸能伝承論は、単なる行動、動作と芸術とのあいだに芸能をおき、どういう条件が、あるいはどういう制約が、芸能をその位置にとどまらしめているのかをみようとするところから出発した」と述べている。芸能とはなにか、芸術とはなにか、民俗芸能とはなにかを、池田彌三郎の研究史を踏まえて今一度考えてみたい。
《参考文献》
『池田彌三郎著作集』(全10巻、角川書店、1979〜1980年)ほか
芸能文化研究会のブログはこちら
2016年2月29日月曜日
市川少女歌舞伎の聞き書き公開されました。
市川少女歌舞伎劇団の中心メンバーにして、現在は東海地方の地芝居の師匠として活躍されている市川梅香師匠と市川福升師匠の聞き書きが「日本近代演劇デジタル・オーラル・ヒストリー・アーカイヴ」で公開されました。舘野は編集と構成を担当しました。
2015年10月15日木曜日
中村少女歌舞伎について
中村少女歌舞伎は長野県岸野村(現佐久市)で結成された劇団。
1954年に浅草松竹演芸場で公演を行っている。
津屋三郎「小学生ばかりの劇団中村少女歌舞伎楽屋訪問記」(『主婦と生活』1954年3月号)によると…
1954年に浅草松竹演芸場で公演を行っている。
津屋三郎「小学生ばかりの劇団中村少女歌舞伎楽屋訪問記」(『主婦と生活』1954年3月号)によると…
- 1944年1月に岸野劇場で行われた地芝居に出演し、四幕を披露。
- 上山田温泉の旅館が藝者たちに芝居をやらせるためにつくった衣装とかつらを借りる。
- 地元有力者が後援会を結成。村長、教育委員、信越放送社長らが名を連ねる。
- 師匠は女役者の中村千鶴。中村新玉の弟子で、「五十五六と見えるかっぷくのいいご婦人」。
- 座員は、中村ゆき子(四年生)、中村千づる(六年生)、中村テル子(三年生)、市川京子(四年生)、中村タカ子(四年生)、中村松江(四年生)、中村幸子(四年生)。全員小学生。
- 竹本は竹本津賀子、豊竹豊司。
- レパートリーは、『熊谷陣屋』、『二十四孝』、『太閤記十段目』、『鎌倉三代記』、『阿波鳴戸』、『奥州安達ヶ原』、『源平布引』、『菅原伝授』、『車引』、『忠臣蔵七段目』、『刈萱』等々。
- 東京公演は松竹演芸場の支配人が評判を聞きつけて、信州まで見物に行って、交渉が成立して実現。
2015年1月17日土曜日
市川女優座制作『阿波の鳴門巡礼歌』
早稲田大学演劇博物館所蔵の市川少女歌舞伎の映像について。
歌舞伎劇シリーズ
市川女優座制作(市川少女歌舞伎改メ)
阿波の鳴門巡礼歌
製作 御荘金吾 中村大四郎
脚本 御荘金吾
演出 市川升十郎 河野秋和
撮影 前田実
録音 安恵重遠
編集 河野秋和
照明 永沢和男
美術 大阪舞台製作所
義太夫 竹本文春太夫
三味線 鶴沢新二
お囃子 市川女優座音調部
衣装 松竹衣装K.K
小道具 藤浪小道具K.K
阿波十郎兵ヱ 市川美寿次
その妻お弓 市川梅香
その娘お鶴 市川いつ子
赤間大膳 市川福升
長屋の女お源 市川梅升
長屋の女お六 市川小牡丹
岡倉小十郎 市川寿々女
茶坊主 市川峰子
丁稚長松 市川恵美子
茶屋娘お光 市川恵理子
16mmフィルムからHi8に変換。白黒。27分。
制作年は不明だが、1960年3月に新宿第一劇場で「市川少女歌舞伎改め市川女優座披露興行」をしていることから、それ以降であると考えられる。
作品は、単なる舞台の撮影ではなく、カメラが切り替わったり、十郎兵衛の回想シーンが挿入されたりする。役者の顔がかなりアップになる。客席や花道がいっさい写らないことから、スタジオで収録されたものではないか。映画に近いつくりであるが、役者の拵えや演技はかぶきそのままである。
いかなる目的で制作され、どうして演劇博物館に収蔵されることになったのかは不明であるが、市川少女歌舞伎の演技を知る手がかりとして重要であろう。
歌舞伎劇シリーズ
市川女優座制作(市川少女歌舞伎改メ)
阿波の鳴門巡礼歌
製作 御荘金吾 中村大四郎
脚本 御荘金吾
演出 市川升十郎 河野秋和
撮影 前田実
録音 安恵重遠
編集 河野秋和
照明 永沢和男
美術 大阪舞台製作所
義太夫 竹本文春太夫
三味線 鶴沢新二
お囃子 市川女優座音調部
衣装 松竹衣装K.K
小道具 藤浪小道具K.K
阿波十郎兵ヱ 市川美寿次
その妻お弓 市川梅香
その娘お鶴 市川いつ子
赤間大膳 市川福升
長屋の女お源 市川梅升
長屋の女お六 市川小牡丹
岡倉小十郎 市川寿々女
茶坊主 市川峰子
丁稚長松 市川恵美子
茶屋娘お光 市川恵理子
16mmフィルムからHi8に変換。白黒。27分。
制作年は不明だが、1960年3月に新宿第一劇場で「市川少女歌舞伎改め市川女優座披露興行」をしていることから、それ以降であると考えられる。
作品は、単なる舞台の撮影ではなく、カメラが切り替わったり、十郎兵衛の回想シーンが挿入されたりする。役者の顔がかなりアップになる。客席や花道がいっさい写らないことから、スタジオで収録されたものではないか。映画に近いつくりであるが、役者の拵えや演技はかぶきそのままである。
いかなる目的で制作され、どうして演劇博物館に収蔵されることになったのかは不明であるが、市川少女歌舞伎の演技を知る手がかりとして重要であろう。
2015年1月7日水曜日
『ひばりの三役 競艶雪之丞変化』の劇中劇
市川少女歌舞伎が劇中劇で出演した美空ひばり版『雪之丞変化』について。
『ひばりの三役 競艶雪之丞変化』と『ひばりの三役 続競艶雪之丞変化』の前後編。
1957年制作、新東宝、渡辺邦男監督。
僕が見たのは、クラリオンソフト新東宝名画シリーズのVHS(ソフトのタイトルは『美空ひばりの競艶雪之丞変化』)。
ひばりは雪之丞、闇太郎、雪之丞母お園の三役。
雪之丞の師匠、菊之丞に市川門三郎が出ている。門三郎は翌1958年に大歌舞伎に復帰するから、このころは「かたばみ座」に出ていたのだろうか。時期は少しずれるが、ひばりと門三郎には、横浜の杉田劇場に出演していたという共通点がある。杉田劇場でもそうだったが、門三郎は、自分の一座を率いて芝居をしていたから、菊之丞のキャラクターと重なっておもしろい。
市川少女歌舞伎は「劇中劇 市川少女歌舞伎劇団」として出演。クレジットには「美寿次、寿々女、姫升、福升、三福、梅升、他」とそれぞれの名前も出ている。劇中劇以外の登場シーンはなし。
劇中劇の一覧とひばりの役所は以下の通り(いずれも推測)。
【前編】
口上(女方の拵え)
戻橋(小百合)
浜松屋(弁天)
落人(お軽)
【後編】
将門(滝夜叉姫)
廿四孝奥庭(八重垣姫)
河庄(小春)
おまつり?(女伊達)
『ひばりの三役 競艶雪之丞変化』と『ひばりの三役 続競艶雪之丞変化』の前後編。
1957年制作、新東宝、渡辺邦男監督。
僕が見たのは、クラリオンソフト新東宝名画シリーズのVHS(ソフトのタイトルは『美空ひばりの競艶雪之丞変化』)。
ひばりは雪之丞、闇太郎、雪之丞母お園の三役。
雪之丞の師匠、菊之丞に市川門三郎が出ている。門三郎は翌1958年に大歌舞伎に復帰するから、このころは「かたばみ座」に出ていたのだろうか。時期は少しずれるが、ひばりと門三郎には、横浜の杉田劇場に出演していたという共通点がある。杉田劇場でもそうだったが、門三郎は、自分の一座を率いて芝居をしていたから、菊之丞のキャラクターと重なっておもしろい。
市川少女歌舞伎は「劇中劇 市川少女歌舞伎劇団」として出演。クレジットには「美寿次、寿々女、姫升、福升、三福、梅升、他」とそれぞれの名前も出ている。劇中劇以外の登場シーンはなし。
劇中劇の一覧とひばりの役所は以下の通り(いずれも推測)。
【前編】
口上(女方の拵え)
戻橋(小百合)
浜松屋(弁天)
落人(お軽)
【後編】
将門(滝夜叉姫)
廿四孝奥庭(八重垣姫)
河庄(小春)
おまつり?(女伊達)
ひばりの雪之丞を見せるためなのか、市川少女歌舞伎の座員にたっぷり見せ場があるわけではない。
それでも、前編では『浜松屋』の南郷の科白が聞けるし、後編では『おまつり(のような出し物)』でトンボを切るところが見られる。大劇場に出演していた頃の市川少女歌舞伎を見られるという意味では貴重だろう(本作の他には演劇博物館が『傾城阿波の鳴門』の映像を持っている)。
本作では、雪之丞が女であることを隠しているというのが趣向となっている。よって、雪之丞の相手役は男であると考えられる。が、それをいうのは野暮だろう。当時20歳のひばりと体格的、年齢的な釣り合いが取れていて、劇中劇の中でひばりが変に浮かないで見えた。
2014年3月17日月曜日
市川少女歌舞伎公演記録(市川升十郎『かぶき人生』豊文堂1983年より)
※年号は西暦に改めた。
1953年
2月三越劇場(東京)
3月浜松座(静岡県浜松)
5月明治座(東京)
6月文楽座(大阪四ツ橋)
7月浜松座(静岡県)
8月文楽座(大阪四ツ橋)
9月より地方公演
1954年
1月八千代劇場(神戸市)
4月文楽座(大阪四ツ橋)
6月南座(京都)
8月明治座(東京)
9月南座(京都)
11月中座(大阪)
12月御園座(名古屋)
1955年
1月南座(京都)
2月中座(大阪)
2月御園座(名古屋)
3月東横ホール(東京)
5月南座(京都)
6月浜松座(静岡県)
7月中座(大阪)
8月明治座(東京)
12月御園座(名古屋)
1956年
1月浜松座(静岡県)
2月南座(京都)
3月中座(大阪)
5月東横ホール(東京)
6月地方公演(東北北海道)
8月御園座(名古屋)
9月南座(京都)
10月地方公演(九州)
11月東横ホール(東京)
12月地方公演(静岡県下)
1957年
1月九州公演
2月南座(京都)
3月丹波地公演(三ヶ月)
6月南座
7月中座(大阪)
7月御園座
8月浜松座(静岡県)
9月・10月浜松座他地方公演
11月東横ホール(東京)
12月御園座(名古屋)
1958年
1月~3月地方公演
4月東横ホール(東京)
5月・6月地方公演
7月常盤座(東京浅草)
8月・9月・10月東北北海道地方公演
12月御園座(名古屋)
1959年
1月・2月地方公演(静岡県下)
3月東横ホール(東京)
4月・5月・6月・7月地方公演
8月御園座(名古屋)
8月南座(京都)
9月・10月・11月 九州巡業
12月御園座(名古屋)
12月新宿第一劇場(東京)
1960年
1月大阪毎日ホール(大阪)
2月地方公演
3月新宿第一劇場
4月豊川市国府町霞座経営す
5月新宿第一劇場にて市川女優座改名披露公演(東京)
6月御園座にて改名披露公演(名古屋)
8月京都南座公演
1961年
1月大阪毎日ホール(大阪)
1962年
東京読売ホール
以後商業劇場出演を中止し社会福祉事業にのみ協賛出演し、今日に至る。
1953年
2月三越劇場(東京)
3月浜松座(静岡県浜松)
5月明治座(東京)
6月文楽座(大阪四ツ橋)
7月浜松座(静岡県)
8月文楽座(大阪四ツ橋)
9月より地方公演
1954年
1月八千代劇場(神戸市)
4月文楽座(大阪四ツ橋)
6月南座(京都)
8月明治座(東京)
9月南座(京都)
11月中座(大阪)
12月御園座(名古屋)
1955年
1月南座(京都)
2月中座(大阪)
2月御園座(名古屋)
3月東横ホール(東京)
5月南座(京都)
6月浜松座(静岡県)
7月中座(大阪)
8月明治座(東京)
12月御園座(名古屋)
1956年
1月浜松座(静岡県)
2月南座(京都)
3月中座(大阪)
5月東横ホール(東京)
6月地方公演(東北北海道)
8月御園座(名古屋)
9月南座(京都)
10月地方公演(九州)
11月東横ホール(東京)
12月地方公演(静岡県下)
1957年
1月九州公演
2月南座(京都)
3月丹波地公演(三ヶ月)
6月南座
7月中座(大阪)
7月御園座
8月浜松座(静岡県)
9月・10月浜松座他地方公演
11月東横ホール(東京)
12月御園座(名古屋)
1958年
1月~3月地方公演
4月東横ホール(東京)
5月・6月地方公演
7月常盤座(東京浅草)
8月・9月・10月東北北海道地方公演
12月御園座(名古屋)
1959年
1月・2月地方公演(静岡県下)
3月東横ホール(東京)
4月・5月・6月・7月地方公演
8月御園座(名古屋)
8月南座(京都)
9月・10月・11月 九州巡業
12月御園座(名古屋)
12月新宿第一劇場(東京)
1960年
1月大阪毎日ホール(大阪)
2月地方公演
3月新宿第一劇場
4月豊川市国府町霞座経営す
5月新宿第一劇場にて市川女優座改名披露公演(東京)
6月御園座にて改名披露公演(名古屋)
8月京都南座公演
1961年
1月大阪毎日ホール(大阪)
1962年
東京読売ホール
以後商業劇場出演を中止し社会福祉事業にのみ協賛出演し、今日に至る。
2014年2月18日火曜日
少女歌舞伎の雑誌記事
少女歌舞伎の雑誌記事リストです。
市川少女歌舞伎を中心にそれ以外も。
T特派記者「珍らしい少女歌舞伎劇団」『少女の友』45(10)、1952-10
座間「芸能・檜舞台にのぼる少女歌舞伎」『家庭よみうり』(335)、1953-02
木村菊太郎「清純な市川少女歌舞伎--十二月名古屋新歌舞伎座から」『幕間』8(2)、1953-02
戶板康二「【時論要解】(文化)『少女歌舞伎』の出現」『時事通信』(2197)、1953-03
「女のグループ(市川少女歌舞伎の巻)」『婦人生活』7(5)、1953-04
「抄色大特集 各界おもしろ帖 芸能放送 大人気の少女歌舞伎」『富士』6(6)、1953-05
戸板康二「市川少女歌舞伎」『芸術新潮』4(7)、1953-07
大鋸時生「市川少女歌舞伎の行先き--大阪文楽座十一月興行」『演劇評論』1(4)、1953-12
津屋三郎「小学生ばかりの劇団 中村少女歌舞伎楽屋訪問記」『主婦と生活』9(3)、1954-03
利倉幸一「少女歌舞伎について--明治座」『演劇界』12(9)、1954-09
「市川少女歌舞伎の人々と語る」『幕間』9(9)、1954-09
「市川少女歌舞伎楽屋訪問」『婦人倶楽部』35(10)、1954-10
竹下竹翁「少女歌舞伎を覗いて」『新文明』4(11)、1954-11
秋山安三郎「鼻高し・少女歌舞伎--八月の明治座」『演劇界』13(10)、1955-09
「少女歌舞伎のマスコット」『サングラフ』 5(10)(45)、1955-10
岡部冬彦「アツカマ氏の美人列車 市川少女歌舞伎の巻」『面白倶楽部』8(13)、1955-11
宮柊二「グラビヤ☆現代の女性=市川少女歌舞伎☆カメラ自叙伝」『週刊サンケイ』5(23)(225)、1956-06
「愉しきかな少女歌舞伎 市川少女歌舞伎座談会」 『婦人倶楽部』38(1)、1957-01
黒田誠之 市川美寿次「婚期がきた少女歌舞伎」『週刊東京』4(17)(136)、1958-04
大木豊「特別読物 思春期に達した市川少女歌舞伎」『週刊東京』4(27)(146)、1958-07
佐々木頼子「野趣に富む「お七」――常磐座少女歌舞伎」『劇評』 9(8)、1958-07
「少女歌舞伎〝車引〟奉納」『サングラフ』10(2)(97)、1960-02
「女になった少女歌舞伎・主役の表情」『週刊新潮』5(11)(214)、1960-03
「伊那谷に少女歌舞伎あり」『週刊新潮』33(47)(1687)、1988-12
市川少女歌舞伎を中心にそれ以外も。
T特派記者「珍らしい少女歌舞伎劇団」『少女の友』45(10)、1952-10
座間「芸能・檜舞台にのぼる少女歌舞伎」『家庭よみうり』(335)、1953-02
木村菊太郎「清純な市川少女歌舞伎--十二月名古屋新歌舞伎座から」『幕間』8(2)、1953-02
戶板康二「【時論要解】(文化)『少女歌舞伎』の出現」『時事通信』(2197)、1953-03
「女のグループ(市川少女歌舞伎の巻)」『婦人生活』7(5)、1953-04
「抄色大特集 各界おもしろ帖 芸能放送 大人気の少女歌舞伎」『富士』6(6)、1953-05
戸板康二「市川少女歌舞伎」『芸術新潮』4(7)、1953-07
大鋸時生「市川少女歌舞伎の行先き--大阪文楽座十一月興行」『演劇評論』1(4)、1953-12
津屋三郎「小学生ばかりの劇団 中村少女歌舞伎楽屋訪問記」『主婦と生活』9(3)、1954-03
利倉幸一「少女歌舞伎について--明治座」『演劇界』12(9)、1954-09
「市川少女歌舞伎の人々と語る」『幕間』9(9)、1954-09
「市川少女歌舞伎楽屋訪問」『婦人倶楽部』35(10)、1954-10
竹下竹翁「少女歌舞伎を覗いて」『新文明』4(11)、1954-11
秋山安三郎「鼻高し・少女歌舞伎--八月の明治座」『演劇界』13(10)、1955-09
「少女歌舞伎のマスコット」『サングラフ』 5(10)(45)、1955-10
岡部冬彦「アツカマ氏の美人列車 市川少女歌舞伎の巻」『面白倶楽部』8(13)、1955-11
宮柊二「グラビヤ☆現代の女性=市川少女歌舞伎☆カメラ自叙伝」『週刊サンケイ』5(23)(225)、1956-06
「愉しきかな少女歌舞伎 市川少女歌舞伎座談会」 『婦人倶楽部』38(1)、1957-01
黒田誠之 市川美寿次「婚期がきた少女歌舞伎」『週刊東京』4(17)(136)、1958-04
大木豊「特別読物 思春期に達した市川少女歌舞伎」『週刊東京』4(27)(146)、1958-07
佐々木頼子「野趣に富む「お七」――常磐座少女歌舞伎」『劇評』 9(8)、1958-07
「少女歌舞伎〝車引〟奉納」『サングラフ』10(2)(97)、1960-02
「女になった少女歌舞伎・主役の表情」『週刊新潮』5(11)(214)、1960-03
「伊那谷に少女歌舞伎あり」『週刊新潮』33(47)(1687)、1988-12
2013年12月29日日曜日
市川少女歌舞伎の横浜公演(『神奈川県演劇史』より)
1957年9月11日~15日
横浜国際劇場
創立8周年記念横浜特別公演 夜の部
①義経千本桜
②摂州合邦辻
③鳴神
④弁天娘女男白浪
特400円、350円、250円、三等170円
学生一等250円、170円、三等130円
1957年9月11日~15日
横浜国際劇場
創立8周年記念横浜特別公演 昼の部
①梶原平三誉石切
②傾城阿波鳴門
③太刀盗人
④神霊矢口渡
特400円、350円、250円、三等170円
学生一等250円、170円、三等130円
1957年9月16日~20日
横浜国際劇場
創立8周年記念横浜特別公演 夜の部
①一谷嫩軍記
②棒しばり
③伊勢音頭恋寝刃
④伊達娘恋緋鹿子
特400円、350円、250円、三等170円
学生一等250円、170円、三等130円
1957年9月16日~20日
横浜国際劇場
創立8周年記念横浜特別公演 昼の部
①義経千本桜
②安珍清姫
③勧進帳
④お染久松
特400円、350円、250円、三等170円
学生一等250円、170円、三等130円
横浜国際劇場
創立8周年記念横浜特別公演 夜の部
①義経千本桜
②摂州合邦辻
③鳴神
④弁天娘女男白浪
特400円、350円、250円、三等170円
学生一等250円、170円、三等130円
1957年9月11日~15日
横浜国際劇場
創立8周年記念横浜特別公演 昼の部
①梶原平三誉石切
②傾城阿波鳴門
③太刀盗人
④神霊矢口渡
特400円、350円、250円、三等170円
学生一等250円、170円、三等130円
1957年9月16日~20日
横浜国際劇場
創立8周年記念横浜特別公演 夜の部
①一谷嫩軍記
②棒しばり
③伊勢音頭恋寝刃
④伊達娘恋緋鹿子
特400円、350円、250円、三等170円
学生一等250円、170円、三等130円
1957年9月16日~20日
横浜国際劇場
創立8周年記念横浜特別公演 昼の部
①義経千本桜
②安珍清姫
③勧進帳
④お染久松
特400円、350円、250円、三等170円
学生一等250円、170円、三等130円
社団法人横浜演劇研究所編『神奈川県演劇史』1994年より
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