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2020年7月17日金曜日

『歌舞伎 研究と批評』65


論文出ました!素人芝居特集です!すごいです!
舘野太朗「平成地芝居の三十年」『歌舞伎 研究と批評』65、2020年7月。
雄山閣のサイトからどなたでもお求めになれます。

2018年12月25日火曜日

スーパー一座と市川升十郎、地芝居。

スーパー一座が市川升十郎の指導を仰いでいた、という話。市川升十郎は、市川少女歌舞伎劇団の指導者として知られる。劇団が商業公演を撤退したのちは、劇団員とともに中部地方を中心に地芝居の師匠として活動していた。スーパー一座成立には、誰にでも歌舞伎を教えてくれる升十郎のような存在が重要だったのではないか。スーパー一座から地芝居の竹本が出たという記述も、同時代演劇と伝統演劇の繋がり方として注目に値する。以下引用。

岩田信市「ロック歌舞伎と大須オペラ」(『自然と文化』77、2005年1月) 
 手短かに述べた上記のような一座の歴史から、もうお解りかと思うが、我々の求めていたのは伝統の破壊ではなく、むしろ伝統の復活である。ただ、形骸化した様式にとらわれない、というだけのことだ。セリフも台本も自由にいじるが、決してパロディ風に現代化したり、流行のアングラ芝居風にアチャラカにふざけたりはしない。あくまでもオーソドックスである。演技も一座結成以来、かつての少女歌舞伎の指導者、市川升十郎師に型の指導を受け、今でも年一本ずつ、義太夫狂言の指導をあおいでいる。役者の基礎訓練として始めた義太夫節の練習の中から育った竹本団勇は、今ではこの地方で盛んな農村歌舞伎の太夫として、引っぱりだこの欠かせない存在となっている。

岩田信市、大須新歌舞伎座を語る。

岩田信市(1935-2017)は、1960年代に名古屋を中心に活動した前衛藝術集団「ゼロ次元」の中心メンバーとして知られる。1979年に「ロック歌舞伎スーパー一座」を結成し、2008年まで大須演芸場で「吉例師走歌舞伎」を上演する。「スーパー一座」の原点には大須新歌舞伎座で見た小芝居の記憶があったらしい。以下引用。

岩田信市「ロック歌舞伎と大須オペラ」(『自然と文化』77、2005年1月)
 今でこそ歌舞伎は完全に様式化、古典化されているけど、私が歌舞伎に興味を持った戦後間もない頃はまだまだ歌舞伎も生きていて、盛んに新作が上演されたり、忠義や義理人情の中に新しい解釈が注入されたりして、どちらかというと、思想的、リアリズム的方向が追求されていた時代だ。
 「様式美にたよる方向こそが歌舞伎をだめにする」といわれている時代に「様式美こそが歌舞伎だ」という岸田劉生の『歌舞伎美論』を読んで我が意を得たりと大いに感動した。世の中はこの本をまるで否定していた。戦後、すべての文化がアメリカナイズされた中で劉生の東洋美に目覚めた少年の僕は、そのことが納得できず、デロリとした美に憧れていたものだ。
 ところが、その憧れの歌舞伎が、名古屋の下町、大須にあった。昭和二十七年、僕の家の裏に生まれた新歌舞伎座である。当時としても、もう珍しい歌舞伎主体の小屋で、いわゆる小芝居が常打ちされていた。嵐三五郎、関三十郎などという、今は消えてしまったが、江戸時代の大名題の役者が主で若い頃の先代の鴈治郎と共演していた片岡秀郎などという役者は評判であった。「錣引」とか「切られお富」なんぞという珍しい演し物の、ぞくっとするような退廃美に惹かれ、これぞ本当の伝統の江戸歌舞伎だと思った。当時、小芝居唯一の残党として東京の「かたばみ座」が有名であったが、比べてみて、僕は、はるかに三五郎一座の方が素晴らしかったと思っている。しかし、この反現代的歌舞伎一座も、その小屋も、結局時代に抗することはできずに何年か続いた後につぶれてしまったのだが、僕の中には、この時の歌舞伎のイメージが、強く焼きついていて、明るく、華やかなだけでこくのない昭和歌舞伎についてゆくことができず、結局歌舞伎は見なくなってしまった。

2018年12月23日日曜日

ハラプロジェクト『パンク歌舞伎・地獄極楽』


ハラプロジェクト『パンク歌舞伎・地獄極楽』

日時:2018年12月21日~24日(21日19時開演を観劇)
会場:名古屋能楽堂

演出:原智彦
脚本:岩田信市「平家女護ヶ島」
原作:近松門左衛門「平家女護ヶ島」

音楽:TURTLE ISLAND、切腹ピストルズ

10月に国立劇場で芝翫が通し上演を手がけたときと同様に、主宰の原智彦が清盛と俊寛を兼ねる。特に俊寛は原のニンにぴったり。予想以上に歌舞伎のにおいが濃厚で、男性役はせりふを歌舞伎の息で大時代にうたう。対して、女性役は新劇的なせりふまわしでリズムと世界を壊してしまう。千鳥を演じた藤井朋子は例外的に歌舞伎になっていた。女性だから歌舞伎の女方のせりふができないということはない。各地の地芝居、学生歌舞伎、あるいは女流義太夫には、達者に女方を演じる女性がたくさんいる。また、女性役が白塗りやかつらを使わないので、役柄が判然としない。

劇伴のタートルアイランドは歌舞伎の役割で言うと黒御簾であり、浄瑠璃ではなかった。語りもの系の音楽ではないので、義太夫狂言的な音楽劇の快楽に欠けており、基本的にはせりふ劇で運んでいく。例えば、タートルとは別に浄瑠璃として浪曲師やラッパーが入ればもっといいと思う。切腹ピストルズはこのまえの「幽玄」の鼓童のような感じで、演奏と演技を兼ねる。

ツケは最初、揚幕の奥で打っていて非常に違和感あったが、途中から上手に移動して安心した。歌舞伎の息で打つので、見得で声をかけたくなる。今度見るときには声をかけよう。ツケ打ちは頭巾かぶってたが、顔出しでもよいのでは。柝は使わなかった。これはわざとかもしれない。

タテは歌舞伎の語彙で処理しているので、美しいし、安心して見れた。

パンク歌舞伎といっても、タートルアイランドはパンク成分薄め。途中、メセニーみたくなってたし。では、何がパンクかと言うと、歌舞伎を好き勝手にぶんまわす原さんがパンクなのではないかと思った。僕らは歌舞伎出ていても基本的には習ったことをそのままやるように頑張るわけで、ひとりで何かができるわけではない。いまはそれはそれで楽しいのだけど、中高生の頃はそれが負い目だった。その時分に、大須歌舞伎を見ていたらはまっただろう。そういう面でパンクロックに通じる初期衝動を感じた。花組芝居や木ノ下歌舞伎など、歌舞伎をベースにした劇団は他にもあるが、本流の歌舞伎に対する遠慮から知的な処理を施す。ハラプロジェクトは歌舞伎を暴力的に遊び倒す感じがある。こういうものは名古屋だから成立するのではないかと思った。

2018年12月11日火曜日

神山彰編『興行とパトロン』



興行とパトロン
近代日本演劇の記憶と文化 7

神山彰[編]
A5判/368頁
本体4600円(+税)
ISBN978-4-86405-135-4
C1374
2018-12

近代日本演劇

舞台を支える影の力学
興行師やパトロンなどの複雑な人的交流によってつくられる「近代演劇」。開化と改良の時代から現代まで、企業資本や政財界人による近代的な整備や関与の一方で、興行師、花柳界、小芝居や村芝居など、興行をめぐる多層的世界をさぐる。
興行の夢と現実とは──。

[Ⅰ 総論]
第1章 「夜」の演劇史──興行とパトロンの世界=神山彰

[Ⅱ 「開化」と「改良」の時代]
第2章 鳥熊芝居と小芝居と=佐藤かつら
第3章 歌舞伎座そして田村成義=寺田詩麻

[Ⅲ 近代化の光と影]
第4章 松竹と東宝──関西資本の東京進出=神山彰
第5章 見物から鑑賞へ──花街の連中、惣見、役者買=岩下尚史
第6章 京阪神のパトロン=河内厚郎
第7章 根岸興行部と浅草芸能の変遷=原健太郎

[Ⅳ 近代産業とモダン文化]
第8章 鉄道と保険──帝劇から日生劇場まで=神山彰
第9章 緞帳の調製と百貨店──進上幕の近代=村島彩加
第10章 中山太陽堂と小山内薫──化粧品会社と近代日本演劇の一側面=熊谷知子
第11章 企業が〈演出〉する渋谷の劇場文化──東横/東急とパルコの場合=後藤隆基

[Ⅴ「中央」と「村」と]
第12章 パトロンとしての国家権力──原敬内閣における「国民文芸会」と「大日本国粋会」=木村敦夫
第13章 相模の團十郎」たち──村芝居の興行=舘野太朗


2017年11月14日火曜日

平成29年度 歌舞伎学会秋季大会

歌舞伎学会の秋季大会で発表します。会員でなくても参加できますので、お気軽にお越しください。舘野の発表は10日の午前中です。

平成29年度 歌舞伎学会秋季大会

12月9日(土)
会場:早稲田大学27号館 地下2階 小野記念講堂
12:30受付開始、13:00大会開始

12月10日(日)
会場:早稲田大学27号館 地下2階 小野記念講堂
9:30受付開始、10:00大会開始

参加費:会員1000円、非会員1500円
懇親会費:6000円

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市川少女歌舞伎のレパートリーについて
舘野太朗(大阪市立大学都市文化研究センター)
【発表要旨】
 地方巡業で評判となっていた雪之丞一座がついに江戸の中村座に出演する。美空ひばり版『雪之丞変化』はそんな場面から始まる。当時の観客は、劇中劇に出演した市川少女歌舞伎を重ねて見ていたのではないだろうか。市川少女歌舞伎は太平洋戦争後に愛知県豊川市で結成された少女だけで歌舞伎を演じる劇団である。祭礼や地方劇場への出演を経て、1953年2月に三越劇場への出演を果たした。以後、10年弱にわたって、あらゆる商業演劇に伍して、東西の大劇場で公演を行った。
 本発表では市川少女歌舞伎のレパートリーを検討する。大劇場進出前から義太夫狂言を中心に豊富な演目を上演していた。例えば、浜松座で1952年7月から9月にかけて行った長期公演では、「十二の替わり」まで演目を入れ替えることができた。東京初出演となった三越劇場公演では昼夜通してすべての演目が義太夫狂言であったが、大劇場には馴染まなかったようだ。以後、劇団はレパートリーの拡充に力を入れる。市川三升、市川海老蔵をはじめとして、市川寿海、尾上松緑、藤間藤子など一線級の指導者のもと、歌舞伎十八番である『勧進帳』、『鳴神』をはじめとして、舞踊、新歌舞伎、新作を取り入れ、地芝居や小芝居と一線を画する演目を揃えていった。
近年の演劇研究では、「女役者」や「少女歌劇」の存在が注目されるようになってきたが、市川少女歌舞伎については基礎的な情報すら知られていない状況にある。今回の発表を少女歌舞伎研究の第一歩としたい。

2015年10月15日木曜日

中村少女歌舞伎について

中村少女歌舞伎は長野県岸野村(現佐久市)で結成された劇団。
1954年に浅草松竹演芸場で公演を行っている。

津屋三郎「小学生ばかりの劇団中村少女歌舞伎楽屋訪問記」(『主婦と生活』1954年3月号)によると…

  • 1944年1月に岸野劇場で行われた地芝居に出演し、四幕を披露。
  • 上山田温泉の旅館が藝者たちに芝居をやらせるためにつくった衣装とかつらを借りる。
  • 地元有力者が後援会を結成。村長、教育委員、信越放送社長らが名を連ねる。
  • 師匠は女役者の中村千鶴。中村新玉の弟子で、「五十五六と見えるかっぷくのいいご婦人」。
  • 座員は、中村ゆき子(四年生)、中村千づる(六年生)、中村テル子(三年生)、市川京子(四年生)、中村タカ子(四年生)、中村松江(四年生)、中村幸子(四年生)。全員小学生。
  • 竹本は竹本津賀子、豊竹豊司。
  • レパートリーは、『熊谷陣屋』、『二十四孝』、『太閤記十段目』、『鎌倉三代記』、『阿波鳴戸』、『奥州安達ヶ原』、『源平布引』、『菅原伝授』、『車引』、『忠臣蔵七段目』、『刈萱』等々。
  • 東京公演は松竹演芸場の支配人が評判を聞きつけて、信州まで見物に行って、交渉が成立して実現。
※記事には市川少女歌舞伎への言及は一切ない。

2015年2月12日木曜日

守美雄聞き書き(日本近代演劇デジタル・オーラル・ヒストリー・アーカイブ)

2014年9月に参加したインタビューが公開されました。
取材対象者は守美雄さん。
東京新聞の記者を経て、「かたばみ座」の経営を手がけていた方です。
戦前の寿座、戦後のかたばみ座など、東京の小芝居を中心にお話しを伺いました。

守美雄聞き書き(日本近代演劇デジタル・オーラル・ヒストリー・アーカイブ)

2015年1月7日水曜日

『ひばりの三役 競艶雪之丞変化』の劇中劇

市川少女歌舞伎が劇中劇で出演した美空ひばり版『雪之丞変化』について。

『ひばりの三役 競艶雪之丞変化』と『ひばりの三役 続競艶雪之丞変化』の前後編。
1957年制作、新東宝、渡辺邦男監督。
僕が見たのは、クラリオンソフト新東宝名画シリーズのVHS(ソフトのタイトルは『美空ひばりの競艶雪之丞変化』)。

ひばりは雪之丞、闇太郎、雪之丞母お園の三役。
雪之丞の師匠、菊之丞に市川門三郎が出ている。門三郎は翌1958年に大歌舞伎に復帰するから、このころは「かたばみ座」に出ていたのだろうか。時期は少しずれるが、ひばりと門三郎には、横浜の杉田劇場に出演していたという共通点がある。杉田劇場でもそうだったが、門三郎は、自分の一座を率いて芝居をしていたから、菊之丞のキャラクターと重なっておもしろい。

市川少女歌舞伎は「劇中劇 市川少女歌舞伎劇団」として出演。クレジットには「美寿次、寿々女、姫升、福升、三福、梅升、他」とそれぞれの名前も出ている。劇中劇以外の登場シーンはなし。

劇中劇の一覧とひばりの役所は以下の通り(いずれも推測)。
【前編】
口上(女方の拵え)
戻橋(小百合)
浜松屋(弁天)
落人(お軽)

【後編】
将門(滝夜叉姫)
廿四孝奥庭(八重垣姫)
河庄(小春)
おまつり?(女伊達)

ひばりの雪之丞を見せるためなのか、市川少女歌舞伎の座員にたっぷり見せ場があるわけではない。
それでも、前編では『浜松屋』の南郷の科白が聞けるし、後編では『おまつり(のような出し物)』でトンボを切るところが見られる。大劇場に出演していた頃の市川少女歌舞伎を見られるという意味では貴重だろう(本作の他には演劇博物館が『傾城阿波の鳴門』の映像を持っている)。
本作では、雪之丞が女であることを隠しているというのが趣向となっている。よって、雪之丞の相手役は男であると考えられる。が、それをいうのは野暮だろう。当時20歳のひばりと体格的、年齢的な釣り合いが取れていて、劇中劇の中でひばりが変に浮かないで見えた。

2014年8月2日土曜日

かたばみ座の文献リスト

最後の小芝居といわれる「かたばみ座」について調べています。
少しずつ追加中。

『演劇界』

  • 不明「休憩時間 かたばみ座 舞踊會 舞台裝置 兒童劇」『演劇界』9(6)1951年6月
  • 守美雄「かたばみ座--展望台」『演劇界』9(10)1951年10月
  • 編集部「小芝居の生態((かたばみ座見物))」『演劇界』11(2)1953年2月
  • 守美雄「かたばみ座その後」『演劇界』13(4)1955年4月
  • 守美雄「かたばみ座のその後」『演劇界』13(11)1955年10月
  • 守美雄「再起をはかるかたばみ座」『演劇界』13(12)1955年12月
  • 編集部「かたばみ座公演<安達原・蘭蝶>」『演劇界』15(3)1957年3月
  • 利「灯は消えなんとす≪かたばみ座≫」『演劇界』15(9) 1957年8月
  • 不明「かたばみ座を見る」『演劇界』16(2)1958年2月
  • 藤田洋「記録と劇評 かたばみ座の危機 <浅草すみだ劇場>」『演劇界』16(10)1958年9月
  • 守美雄「かたばみ座評について」『演劇界』16(11)1958年10月
  • 新富朝一「今月の話題 かたばみ座新春公演」『演劇界』17(2)1959年2月
  • 藤田洋「竹若奮演のかたばみ座」『演劇界』18(1)1960年1月
  • 不明「特集 歌舞伎ソヴィエトアルバム かたばみ座一日都心進出」『演劇界』19(9)1961月9月
  • 藤田洋「夏芝居二題〈若手勉強会とかたばみ座〉」『演劇界』19(9)1961年9月
  • 丹羽敬忠「かたばみ座特別公演『鶯塚』をみる」『演劇界』20(1)1962年1月
  • 不明「見・聞・読 ・かたばみ座公演」『演劇界』21(1)1963年1月
  • 小西千鶴「かたばみ座の『忠節女夫松』を見る」『演劇界』21(5)1963年5月
  • 宮川鉱一「頑張れ!かたばみ座」『演劇界』22(2)1964年2月
  • 守美雄「かたばみ座その後」『演劇界』22(10)1964年9月
  • 「小芝居のはなし」『演劇界』26(3) 1968年3月
     安藤鶴夫「〈小芝居〉にあったもの」
     三宅三郎「小芝居の演技」
     浜村米蔵「緞帳芝居」
     秋山安三郎「小芝居の餓鬼ども」
     藤浦富太郎「明治~大正・小芝居見聞記」
     山口廣一「京阪の小芝居」
     北村栄造「公園裏の宮戸座」
     戸部銀作「戦災までの寿劇場」
     守美雄「小芝居の挽歌」
     編集部「小芝居についての補遺」
  • 「懐しい東京の小芝居」『演劇界』40(9) 1982年8月
     加太こうじ「小芝居のおもしろ味」
     服部幸雄「江戸時代の小芝居」
     志野葉太郎「懐しい小芝居の役者たち」
     阿部優蔵「小芝居の劇場」
     守美雄「かたばみ座顛末記」
     「わたしと小芝居」

その他雑誌

  • 三宅周太郞「かたばみ座の「河庄」 」『放送文化』6(5) 1951年
  • 田村章作「かたばみ座と松竹新喜劇」『舞台展望』2(11) 1952年
  • 福田定良「「かたばみ座」雑感」『演劇評論』1(3) 1953年
  • 奥野信太郎「かたばみ座雑感」『文學界』7(5) 1953年
  • 田口栄一「“かたばみ座所見記”(小芝居に就いて)」『歌舞伎研究』1 1954年
  • 塩野谷恵彦「幸運な「かたばみ座」--三月名古屋興行」『演劇評論』2(3) 1954年
  • 川上桂司「劇評 かたばみ座寸感」『桃源』(51) 1956年
  • 「かたばみ座一代記」『週刊新潮』2(7)(54) 1957年
  • 塚田圭一「小芝居の聞書―坂東鶴蔵の話―」『芸能復興』14 1957年
  • 坂東鶴蔵「「かたばみ座」顛末記―危機に立つ小芝居―」『芸術新潮』8(5) 1957年
  • 郡司正勝「かたばみ座の特別公演」『芸能』4(2) 1962年
  • 添田友道「すみだ劇場満員のこと―「坂東鶴蔵追善の催し」―」『中央公論』84(10)(986) 1969年
  • 菊池明、内山美樹子「大正・昭和期の小芝居≪四世坂東鶴蔵旧蔵台本・書抜の紹介と覚え書」『演劇研究』4 1970年
  • 落合清彦「興行師聞書き≫かたばみ座始末記」『伝統芸術』2 1971年
  • 沢村可川、中村義裕「小芝居≫聞き書き 沢村可川≪付、かたばみ座上演年表」『歌舞伎 研究と批評』11 1993年
単行本

  • 阿部優蔵『東京の小芝居』1970年 演劇出版社
  • 関容子『花の脇役』1996年 新潮社

2014年3月17日月曜日

市川少女歌舞伎公演記録(市川升十郎『かぶき人生』豊文堂1983年より)

※年号は西暦に改めた。
1953年
 2月三越劇場(東京)
 3月浜松座(静岡県浜松)
 5月明治座(東京)
 6月文楽座(大阪四ツ橋)
 7月浜松座(静岡県)
 8月文楽座(大阪四ツ橋)
 9月より地方公演
1954年
 1月八千代劇場(神戸市)
 4月文楽座(大阪四ツ橋)
 6月南座(京都)
 8月明治座(東京)
 9月南座(京都)
 11月中座(大阪)
 12月御園座(名古屋)
1955年
 1月南座(京都)
 2月中座(大阪)
 2月御園座(名古屋)
 3月東横ホール(東京)
 5月南座(京都)
 6月浜松座(静岡県)
 7月中座(大阪)
 8月明治座(東京)
 12月御園座(名古屋)
1956年
 1月浜松座(静岡県)
 2月南座(京都)
 3月中座(大阪)
 5月東横ホール(東京)
 6月地方公演(東北北海道)
 8月御園座(名古屋)
 9月南座(京都)
 10月地方公演(九州)
 11月東横ホール(東京)
 12月地方公演(静岡県下)
1957年
 1月九州公演
 2月南座(京都)
 3月丹波地公演(三ヶ月)
 6月南座
 7月中座(大阪)
 7月御園座
 8月浜松座(静岡県)
 9月・10月浜松座他地方公演
 11月東横ホール(東京)
 12月御園座(名古屋)
1958年
 1月~3月地方公演
 4月東横ホール(東京)
 5月・6月地方公演
 7月常盤座(東京浅草)
 8月・9月・10月東北北海道地方公演
 12月御園座(名古屋)
1959年
 1月・2月地方公演(静岡県下)
 3月東横ホール(東京)
 4月・5月・6月・7月地方公演
 8月御園座(名古屋)
 8月南座(京都)
 9月・10月・11月 九州巡業
 12月御園座(名古屋)
 12月新宿第一劇場(東京)
1960年
 1月大阪毎日ホール(大阪)
 2月地方公演
 3月新宿第一劇場
 4月豊川市国府町霞座経営す
 5月新宿第一劇場にて市川女優座改名披露公演(東京)
 6月御園座にて改名披露公演(名古屋)
 8月京都南座公演
1961年
 1月大阪毎日ホール(大阪)
1962年
 東京読売ホール

以後商業劇場出演を中止し社会福祉事業にのみ協賛出演し、今日に至る。

2014年2月18日火曜日

少女歌舞伎の雑誌記事

少女歌舞伎の雑誌記事リストです。
市川少女歌舞伎を中心にそれ以外も。

T特派記者「珍らしい少女歌舞伎劇団」『少女の友』45(10)、1952-10
座間「芸能・檜舞台にのぼる少女歌舞伎」『家庭よみうり』(335)、1953-02
木村菊太郎「清純な市川少女歌舞伎--十二月名古屋新歌舞伎座から」『幕間』8(2)、1953-02
戶板康二「【時論要解】(文化)『少女歌舞伎』の出現」『時事通信』(2197)、1953-03
「女のグループ(市川少女歌舞伎の巻)」『婦人生活』7(5)、1953-04
「抄色大特集 各界おもしろ帖 芸能放送 大人気の少女歌舞伎」『富士』6(6)、1953-05
戸板康二「市川少女歌舞伎」『芸術新潮』4(7)、1953-07
大鋸時生「市川少女歌舞伎の行先き--大阪文楽座十一月興行」『演劇評論』1(4)、1953-12
津屋三郎「小学生ばかりの劇団 中村少女歌舞伎楽屋訪問記」『主婦と生活』9(3)、1954-03
利倉幸一「少女歌舞伎について--明治座」『演劇界』12(9)、1954-09
「市川少女歌舞伎の人々と語る」『幕間』9(9)、1954-09
「市川少女歌舞伎楽屋訪問」『婦人倶楽部』35(10)、1954-10
竹下竹翁「少女歌舞伎を覗いて」『新文明』4(11)、1954-11
秋山安三郎「鼻高し・少女歌舞伎--八月の明治座」『演劇界』13(10)、1955-09
「少女歌舞伎のマスコット」『サングラフ』 5(10)(45)、1955-10
岡部冬彦「アツカマ氏の美人列車 市川少女歌舞伎の巻」『面白倶楽部』8(13)、1955-11
宮柊二「グラビヤ☆現代の女性=市川少女歌舞伎☆カメラ自叙伝」『週刊サンケイ』5(23)(225)、1956-06
「愉しきかな少女歌舞伎 市川少女歌舞伎座談会」 『婦人倶楽部』38(1)、1957-01
黒田誠之 市川美寿次「婚期がきた少女歌舞伎」『週刊東京』4(17)(136)、1958-04
大木豊「特別読物 思春期に達した市川少女歌舞伎」『週刊東京』4(27)(146)、1958-07
佐々木頼子「野趣に富む「お七」――常磐座少女歌舞伎」『劇評』 9(8)、1958-07
「少女歌舞伎〝車引〟奉納」『サングラフ』10(2)(97)、1960-02
「女になった少女歌舞伎・主役の表情」『週刊新潮』5(11)(214)、1960-03
「伊那谷に少女歌舞伎あり」『週刊新潮』33(47)(1687)、1988-12

2013年12月29日日曜日

市川少女歌舞伎の横浜公演(『神奈川県演劇史』より)

1957年9月11日~15日
横浜国際劇場
創立8周年記念横浜特別公演 夜の部
①義経千本桜
②摂州合邦辻
③鳴神
④弁天娘女男白浪
特400円、350円、250円、三等170円
学生一等250円、170円、三等130円

1957年9月11日~15日
横浜国際劇場
創立8周年記念横浜特別公演 昼の部
①梶原平三誉石切
②傾城阿波鳴門
③太刀盗人
④神霊矢口渡
特400円、350円、250円、三等170円
学生一等250円、170円、三等130円

1957年9月16日~20日
横浜国際劇場
創立8周年記念横浜特別公演 夜の部
①一谷嫩軍記
②棒しばり
③伊勢音頭恋寝刃
④伊達娘恋緋鹿子
特400円、350円、250円、三等170円
学生一等250円、170円、三等130円

1957年9月16日~20日
横浜国際劇場
創立8周年記念横浜特別公演 昼の部
①義経千本桜
②安珍清姫
③勧進帳
④お染久松
特400円、350円、250円、三等170円
学生一等250円、170円、三等130円

社団法人横浜演劇研究所編『神奈川県演劇史』1994年より