市川少女歌舞伎劇団の中心メンバーにして、現在は東海地方の地芝居の師匠として活躍されている市川梅香師匠と市川福升師匠の聞き書きが「日本近代演劇デジタル・オーラル・ヒストリー・アーカイヴ」で公開されました。舘野は編集と構成を担当しました。
2016年2月29日月曜日
2015年12月13日日曜日
芸能文化研究会第四回研究会
芸能文化研究会第四回研究会のお知らせです。
芸能文化研究会のブログはこちら。
日時:2016年1月23日(土)
会場:早稲田大学早稲田キャンパス施設名:3号館706号室(演習室)
報告者:川﨑瑞穂さん(国立音楽大学大学院博士後期課程)、矢嶋正幸さん
来聴歓迎いたします。事前に以下のアドレスまでメールをいただけると幸いです。
geinoubunka〇gmail.com(〇を@に変えてください)
来聴歓迎いたします。事前に以下のアドレスまでメールをいただけると幸いです。
geinoubunka〇gmail.com(〇を@に変えてください)
【要旨】
川﨑瑞穂「民族音楽学的芸能史研究試論」
石塚尊俊はその著書『里神楽の成立に関する研究』(2005)の中で、史料の乏しい里神楽の史的研究においては、史料だけではなく、舞所・飾餝・面・衣裳・執物・曲目・所作・奏楽・詞章といった諸要素を個別に比較分析する必要があると述べている。この「曲目・所作・奏楽」という視座から、従来の「出雲流神楽」の史的研究に異を唱えたのが森林憲史である。森林は、関東地方の出雲流神楽における「三つ拍子(テケテットン)」という囃子を研究し、この囃子が、反閇や剣印などといった、山伏神楽の所作と密接に関係していることを明らかにした。楽曲から芸能を見ることの重要性を指摘し、その実例を示した森林の功績は正当に評価されねばならない。
ところが、音楽を専門としていない研究者にとっての音楽分析のむずかしさもあいまって、この分野の研究は進んでいるとは言えない。そしてこの進捗の遅れは、発表者のフィールドである秩父地方の神楽の研究領域においても同様に見出される。
本発表では、倉林正次、栃原嗣雄、小野寺節子、三田村佳子、森林憲史らによる秩父地方の神楽の研究史を辿り、「民族音楽学的芸能史研究」の必要性を述べる。クロード・レヴィ=ストロースが『神話論理』の第1巻『生のものと火を通したもの』(1964)の「序曲」において、音楽という謎が人文科学の最後の謎であると同時に、進歩の鍵を握っていると述べているが、本発表では、発表者のこれまでの研究を紹介し、音楽が民俗芸能の史的研究における多くの謎を解く鍵を提供してくれることを示したい。
矢嶋正幸「都市祭礼としての三匹獅子」
三匹獅子は東日本を代表する民俗芸能であり、その伝承地は140 0か所を超える。 しかしながら箱根を境にして西日本には数えるほどしか存在してい ない。その数少ない例外が福井県小浜市の雲浜獅子である。 この獅子は寛永11年(1634) に武蔵国川越藩主であった酒井忠勝が若狭国小浜藩に転封となった さいに渋る演技者を優位な条件で川越から連れてきたことから始ま る。彼らは足軽として酒井家に仕え、 関東組という他の足軽とは一線を画す存在となった。そして毎年6 月に城下町を挙げておこなわれていた小浜祇園会で獅子舞を演じて きた。
獅子が移入された近世初期は幕藩体制の確立にともない、 城下町の建設ラッシュが起こっていた時期に当たる。 酒井忠勝もまた転封後に小浜城下町の整備をおこなっている。 雲浜獅子もこうした都市空間が形成される中で関東から移入された のである。
三匹獅子が分布するのは圧倒的に農山村に多いため、風祭・ 雨乞いなどの農耕儀礼との関係で論じられることが多かった。 しかし三匹獅子は農山村だけではなく、川越・水戸・ 掛川などの城下町や、佐原・ 本庄などの在郷町や宿場町といった都市空間にも少なからず存在し ている。小浜と川越を中心に、 都市祭礼として三匹獅子をとらえなおすことで、 この芸能の違った側面を見ていきたい。
2015年12月9日水曜日
神奈川新聞の取材を受けました
いずみ歌舞伎の活動について神奈川新聞の取材を受けました。
2015年10月30日の朝刊に掲載されたほか、インターネットでも記事が公開されています。下記のリンクから記事に飛べます。
地域根ざす舞台へ「いずみ歌舞伎」20回目
2015年10月30日の朝刊に掲載されたほか、インターネットでも記事が公開されています。下記のリンクから記事に飛べます。
地域根ざす舞台へ「いずみ歌舞伎」20回目
郷土芸能ストリームにでました
2012年6月13日に郷土芸能STREAMというネット放送に出てきました。
録画もあります。
↓
第011回「ゆとり世代ならぬ地芝居世代が案内する平成地芝居事情」
プレゼンター:舘野太郎(地芝居ポータル)
コーディネーター:西嶋一泰(民俗芸能STREAM代表)
内容:
数ある郷土芸能のジャンルのなかでもメジャーな地芝居。
平成に入ってからは、全国各地で復活が相次いだり、
子ども歌舞伎などの新たな試みや、地芝居団体同士の交流も盛んです。
地芝居ブームはいま最盛期にあるといってもいいのではないでしょうか!
東京から日帰りできる距離の関東近郊でもたくさんの地芝居を見ることができます。
今回は昨年神奈川県下で行われた地芝居を中心に、
昨年は地芝居が登場する映画が複数本公開され、
そんな平成地芝居事情を、子ども歌舞伎出身の新世代地芝居研究者が案内いたします。
テレビや新聞で紹介されることは少ないのですが、
どんな場所で、どんな演目が演じられているのかをおみせします。
さらにこれから地芝居を観にいこうという方にお役立ち情報を紹介します。
2015年12月9日ustreamリンク切れの為、youtubeへのリンクに修正しました。
2015年12月9日ustreamリンク切れの為、youtubeへのリンクに修正しました。
2015年11月16日月曜日
2015年10月15日木曜日
中村少女歌舞伎について
中村少女歌舞伎は長野県岸野村(現佐久市)で結成された劇団。
1954年に浅草松竹演芸場で公演を行っている。
津屋三郎「小学生ばかりの劇団中村少女歌舞伎楽屋訪問記」(『主婦と生活』1954年3月号)によると…
1954年に浅草松竹演芸場で公演を行っている。
津屋三郎「小学生ばかりの劇団中村少女歌舞伎楽屋訪問記」(『主婦と生活』1954年3月号)によると…
- 1944年1月に岸野劇場で行われた地芝居に出演し、四幕を披露。
- 上山田温泉の旅館が藝者たちに芝居をやらせるためにつくった衣装とかつらを借りる。
- 地元有力者が後援会を結成。村長、教育委員、信越放送社長らが名を連ねる。
- 師匠は女役者の中村千鶴。中村新玉の弟子で、「五十五六と見えるかっぷくのいいご婦人」。
- 座員は、中村ゆき子(四年生)、中村千づる(六年生)、中村テル子(三年生)、市川京子(四年生)、中村タカ子(四年生)、中村松江(四年生)、中村幸子(四年生)。全員小学生。
- 竹本は竹本津賀子、豊竹豊司。
- レパートリーは、『熊谷陣屋』、『二十四孝』、『太閤記十段目』、『鎌倉三代記』、『阿波鳴戸』、『奥州安達ヶ原』、『源平布引』、『菅原伝授』、『車引』、『忠臣蔵七段目』、『刈萱』等々。
- 東京公演は松竹演芸場の支配人が評判を聞きつけて、信州まで見物に行って、交渉が成立して実現。
2015年10月7日水曜日
2015年度日本演劇学会研究集会
日本演劇学会、秋の研究集会で発表します。
2015年度 日本演劇学会 研究集会
◆テーマ:古典劇の現代上演
◆日程(詳細)
2015年10月24日(土) 10:30~17:40
懇親会 18:00~20:00
10月25日(日)10:00~17:10
◆会場
法政大学市ヶ谷キャンパス富士見坂校舎 ボアソナードタワー25階・26階
詳細はこちら
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古典劇の研究と実演 ―学生歌舞伎を事例として―【発表要旨】
学生による歌舞伎の実演(学生歌舞伎)は、坪内逍遥が早稲田大学の学生と『地震加藤』を上演した事例があるが、太平洋戦争後に東京都内の各大学で盛んに行われるようになる。三島由紀夫は、1952年の短編『学生歌舞伎気質』で、歌舞伎を演じる学生たちの姿を新制大学の象徴として描いている。1957年には、松竹が学生歌舞伎から「学士俳優」を採用して、彼らを関西歌舞伎へ送り込んだ。当時の評論家は学生歌舞伎には否定的で、例えば戸板康二はたびたび批判してきた。学生の間でも、実演を行う大学と「観劇専門」を貫く大学とで、たびたび論争が交わされてきた。実演派の学生たちは「研究」を実演の大義名分に掲げて論陣を張ってきたが、実演の是非をめぐる論争は1967年を最後に見られなくなる。それは、歌舞伎の文化財指定、国立劇場の開場と同時期であった。
現在、古典藝能の研究者が実演の稽古をするのは音楽や能楽の方面では珍しくないが、歌舞伎研究においては稀であろう。そのなかで、学生歌舞伎は正課の教育研究活動ではないものの、研究を志向する者による実演として注目に値する活動である。本発表では、学生歌舞伎の是非をめぐる論争を軸に、歌舞伎の研究と実演をめぐる問題を考察する。学生歌舞伎のほとんどは東京都内で上演されてきたが、宮城教育大学の「垣内座」、南山大学の「南山大学歌舞伎」といった地方のユニークな活動も可能な限り紹介したい。
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