2014年12月19日金曜日

学生歌舞伎の文献リスト

学生歌舞伎・学士俳優の文献リストを作成中です。

「歌舞伎と学生演劇」『幕間』03(01) 1948.01
 戸板康二「学生歌舞伎その他」
 大木豊「歌舞伎を愛する若き同志へ」
 坂東蓑助「学生歌舞伎些言」
三島由紀夫「學生歌舞伎氣質」『小説新潮』6(1) 1952-01
内海繁太郎「学生歌舞伎を見て」『幕間』07(10) 1952.10
北島富士子「學生歌舞伎を見る」『演劇界』10(11) 1952
「学士俳優打明け話」『幕間』11(8)1956.07
舟木みどり「劇談広場 思うまま(学士俳優の皆さんへ)」『幕間』11(12) 1956.12
内海繁太郎「学生歌舞伎なるもの」『演劇界』14(5) 1956.07
『大学歌舞伎研究』発会記念号 1957.01
大谷正弥「学生歌舞伎一年の記」『芸術新潮』8(6) 1957.06
「演劇学科上演目録」『演劇修行』5 1958.03
「各大学の歌舞伎研究」『藝能』6 1959.07
J・R・ブランドン「日大歌舞伎をみて」『演劇修行』9 1961.12
田中稔(立教大学)「大学歌舞伎研究連盟合同公演に思う」『大学歌舞伎研究』6 1962.04
川合郁男「三十七年度合同公演中間報告」『大学歌舞伎研究』7 1963.04
岩崎輝行「三十六年度大学歌舞伎連盟合同公演総括」『大学歌舞伎研究』7 1963.04
江原伸吉(立教大学歌舞伎研究会)「若い言葉(大学生の発言)学生と歌舞伎」『演劇界』24(6) 1966.05
「特集・学生歌舞伎」『大学歌舞伎研究』10 1966.11
 小楽崎正義「学生歌舞伎は存在しうるか=その二つの可能性=」
 喜世流浄舎「学生歌舞伎論のために=一橋の場合=」
 川合和男「実演校と研究校」
 細野義昭(明治大学歌舞伎研究会)「「学生歌舞伎」―四十年度の公演と反省―」
 橋本公子(実践女子大学)「学生歌舞伎を観て」
 川合和男(青山学院大学)「増田大道具と学生歌舞伎=学生歌舞伎に反省を請う=」
青木誠司(早大歌舞伎研究会)「《学生歌舞伎》論争に寄せて」『大学歌舞伎研究』11 1967.09
成瀨正とし「「學生歌舞伎氣質」考」 『ホトトギス』76(12)(924) 1973-12
土岐迪子「嵐徳三郎と語る60分」『演劇界』38(4) 1980
「特集I 当今若者歌舞伎気質」『演劇界』53(12) 1995-10
 高橋美江「大学歌舞伎研究会言いたい放題」
 玉垣凪和三「日本大学・法政大学・慶應義塾大学・日本女子大学」
 濱村道哉「わが青春の観劇日記」
 橋本治「なにか本筋とは違うことをやっていた」
 葛西聖司「赤い盃」
 日本大学芸術学部「ああ芝居の幕があく」
 原一平「日大歌舞伎いまむかし」
 河村常雄「趣味が身を助く」
 「嵐徳三郎歌舞伎の青春」
 「天井棧敷の若者たち・古今ファン気質・気になるひいき役者の人気度」
船木浩司『七代目嵐徳三郎伝―歌舞伎ざんまい幕のうちそと』、2003、東方出版。

~各大学歌舞伎研究会記念誌~
明治大学歌舞伎研究会四十周年記念誌編集委員会編『明治大学歌舞伎研究会四十周年記念誌』、1989
学習院國劇部五十周年記念事業記念誌編集委員会『國劇部五十年史』、1997
慶応義塾大学歌舞伎研究会八十年史編集委員会編『慶応義塾大学歌舞伎研究会八十年史』、2006
早稲田大学歌舞伎研究会六十年誌編集委員会編『早稲田大学歌舞伎研究会六十年誌』、2007

2014年8月2日土曜日

かたばみ座の文献リスト

最後の小芝居といわれる「かたばみ座」について調べています。
少しずつ追加中。

『演劇界』

  • 不明「休憩時間 かたばみ座 舞踊會 舞台裝置 兒童劇」『演劇界』9(6)1951年6月
  • 守美雄「かたばみ座--展望台」『演劇界』9(10)1951年10月
  • 編集部「小芝居の生態((かたばみ座見物))」『演劇界』11(2)1953年2月
  • 守美雄「かたばみ座その後」『演劇界』13(4)1955年4月
  • 守美雄「かたばみ座のその後」『演劇界』13(11)1955年10月
  • 守美雄「再起をはかるかたばみ座」『演劇界』13(12)1955年12月
  • 編集部「かたばみ座公演<安達原・蘭蝶>」『演劇界』15(3)1957年3月
  • 利「灯は消えなんとす≪かたばみ座≫」『演劇界』15(9) 1957年8月
  • 不明「かたばみ座を見る」『演劇界』16(2)1958年2月
  • 藤田洋「記録と劇評 かたばみ座の危機 <浅草すみだ劇場>」『演劇界』16(10)1958年9月
  • 守美雄「かたばみ座評について」『演劇界』16(11)1958年10月
  • 新富朝一「今月の話題 かたばみ座新春公演」『演劇界』17(2)1959年2月
  • 藤田洋「竹若奮演のかたばみ座」『演劇界』18(1)1960年1月
  • 不明「特集 歌舞伎ソヴィエトアルバム かたばみ座一日都心進出」『演劇界』19(9)1961月9月
  • 藤田洋「夏芝居二題〈若手勉強会とかたばみ座〉」『演劇界』19(9)1961年9月
  • 丹羽敬忠「かたばみ座特別公演『鶯塚』をみる」『演劇界』20(1)1962年1月
  • 不明「見・聞・読 ・かたばみ座公演」『演劇界』21(1)1963年1月
  • 小西千鶴「かたばみ座の『忠節女夫松』を見る」『演劇界』21(5)1963年5月
  • 宮川鉱一「頑張れ!かたばみ座」『演劇界』22(2)1964年2月
  • 守美雄「かたばみ座その後」『演劇界』22(10)1964年9月
  • 「小芝居のはなし」『演劇界』26(3) 1968年3月
     安藤鶴夫「〈小芝居〉にあったもの」
     三宅三郎「小芝居の演技」
     浜村米蔵「緞帳芝居」
     秋山安三郎「小芝居の餓鬼ども」
     藤浦富太郎「明治~大正・小芝居見聞記」
     山口廣一「京阪の小芝居」
     北村栄造「公園裏の宮戸座」
     戸部銀作「戦災までの寿劇場」
     守美雄「小芝居の挽歌」
     編集部「小芝居についての補遺」
  • 「懐しい東京の小芝居」『演劇界』40(9) 1982年8月
     加太こうじ「小芝居のおもしろ味」
     服部幸雄「江戸時代の小芝居」
     志野葉太郎「懐しい小芝居の役者たち」
     阿部優蔵「小芝居の劇場」
     守美雄「かたばみ座顛末記」
     「わたしと小芝居」

その他雑誌

  • 三宅周太郞「かたばみ座の「河庄」 」『放送文化』6(5) 1951年
  • 田村章作「かたばみ座と松竹新喜劇」『舞台展望』2(11) 1952年
  • 福田定良「「かたばみ座」雑感」『演劇評論』1(3) 1953年
  • 奥野信太郎「かたばみ座雑感」『文學界』7(5) 1953年
  • 田口栄一「“かたばみ座所見記”(小芝居に就いて)」『歌舞伎研究』1 1954年
  • 塩野谷恵彦「幸運な「かたばみ座」--三月名古屋興行」『演劇評論』2(3) 1954年
  • 川上桂司「劇評 かたばみ座寸感」『桃源』(51) 1956年
  • 「かたばみ座一代記」『週刊新潮』2(7)(54) 1957年
  • 塚田圭一「小芝居の聞書―坂東鶴蔵の話―」『芸能復興』14 1957年
  • 坂東鶴蔵「「かたばみ座」顛末記―危機に立つ小芝居―」『芸術新潮』8(5) 1957年
  • 郡司正勝「かたばみ座の特別公演」『芸能』4(2) 1962年
  • 添田友道「すみだ劇場満員のこと―「坂東鶴蔵追善の催し」―」『中央公論』84(10)(986) 1969年
  • 菊池明、内山美樹子「大正・昭和期の小芝居≪四世坂東鶴蔵旧蔵台本・書抜の紹介と覚え書」『演劇研究』4 1970年
  • 落合清彦「興行師聞書き≫かたばみ座始末記」『伝統芸術』2 1971年
  • 沢村可川、中村義裕「小芝居≫聞き書き 沢村可川≪付、かたばみ座上演年表」『歌舞伎 研究と批評』11 1993年
単行本

  • 阿部優蔵『東京の小芝居』1970年 演劇出版社
  • 関容子『花の脇役』1996年 新潮社

2014年4月8日火曜日

デイリープレミアムカレンダー・「潜入、踊る祭り」

森永乳業のサイトに、地芝居の記事が掲載されています。

知らざァいって聞かせやしょう、「地芝居」の奥深き世界
こいつァ秋から演技がいいわえ、神奈川地芝居三昧

『マツリスタ』の連載、「わたしの地狂言雑記」のダイジェスト版です。
アイスクリームは森永パルムしか食べません!

2014年4月5日土曜日

地芝居の「地」とは

 芸能研究の用語として、地芝居の「地」はどのように理解されてきたのだろうか。

①飯塚友一郎
村芝居とか田舎芝居とか一口に言つてもいろ/\な形があつた。まづ買芝居と地芝居(地狂言)とを分けてみなければならない。買芝居といふのは旅芝居もしくは他村の芝居を買つてくるのである。(中略)地芝居といふのは、その土地の芝居好きが道樂でやる素人芝居で、花と稱する祝儀を當てにして、多少は自腹を切つて催す、これも勿論村中へ只で公開する芝居である。(飯塚友一郎、1943、『藝能文化論』、鶴書房)

②池田弥三郎
地芝居とは村芝居のことだが、その「地」は地狂言・地歌舞伎などの「地」で、素人のことである。そして、地方廻りの劇団をやとって来て上演するものまで含めてそういう場合には、「地」の意味がまじって来て、中央に対するローカルということになる。一般に、右の両義をあわせもって使われているようだ。(富安風生編、1959、『俳句歳時記(全五巻)秋の部』、平凡社)

③郡司正勝
この「地」は、土地の芝居の意味で、「地唄」とおなじ原意である。いつ頃から使いはじめたのか不明であるが、元禄初年には、すでに「地しばゐ」の名称があり、土着の役者のことを「地役者」ということばもある。「田舎芝居」という場合もあるが、これは、都市から云った立場の言葉であり、「地芝居」の場合は、土地から、都市を意識して、対立させた言葉である。(郡司正勝、1971、『地芝居と民俗』、岩崎美術社)

④服部幸雄
村芝居にも、前述した「旅芝居」の一座を雇い入れて芝居を上演してもらう「買芝居」「請芝居」と、農民(山村や漁撈の民もある)自身が演ずる「地芝居」の別がある。「地」は地酒、地ビールなどの「地」で、「田舎」または「地方のひなびた土地に独特のもの」の意味で冠せたことばである。(服部幸雄、1999、『歌舞伎ことば帖』、岩波書店)

 ①の飯塚と②の池田は「地」を「素人」の意であるとしている。遊女に対する地女(じおんな)の「地」に相当し、「(その道の商売人に対して)素人(しろうと)」の意である。対して、③の郡司と④の服部は「地」を「土地」の意であるとしている。現在ではこちらの解釈のほうが一般的になっている印象であろう。旅回りのかぶき劇団が姿を消し、買芝居と地芝居を取り立てて区別する必要も無くなっている。
 池田弥三郎が「『地』の意味がまじって来て」いると指摘しているところが興味深い。一方で、服部幸雄は買芝居と地芝居の峻別をしているのにもかかわらず、「地」を土地の意味のみで解釈している。

 ちなみに、岐阜県を中心によく使われている「地歌舞伎」ということば。これまでに僕がみつけたなかでは、この池田弥三郎がいちばん古い用例である。

2014年4月2日水曜日

『まつり』75の特集は「地芝居の今」

『まつり』75 2013.12
●特集 地芝居の今
中村規「地芝居考 ―江戸時代元禄期の地芝居・地役者をめぐって―」
舘野太朗「神奈川県における地芝居の「復活」について」
蒲池卓巳「道と地芝居の担い手たち―三遠南信と東濃を結ぶ街道筋から」
坂本要「沖縄のスーマチ(1)―南西諸島のサークル・ダンス」

2014年3月17日月曜日

市川少女歌舞伎公演記録(市川升十郎『かぶき人生』豊文堂1983年より)

※年号は西暦に改めた。
1953年
 2月三越劇場(東京)
 3月浜松座(静岡県浜松)
 5月明治座(東京)
 6月文楽座(大阪四ツ橋)
 7月浜松座(静岡県)
 8月文楽座(大阪四ツ橋)
 9月より地方公演
1954年
 1月八千代劇場(神戸市)
 4月文楽座(大阪四ツ橋)
 6月南座(京都)
 8月明治座(東京)
 9月南座(京都)
 11月中座(大阪)
 12月御園座(名古屋)
1955年
 1月南座(京都)
 2月中座(大阪)
 2月御園座(名古屋)
 3月東横ホール(東京)
 5月南座(京都)
 6月浜松座(静岡県)
 7月中座(大阪)
 8月明治座(東京)
 12月御園座(名古屋)
1956年
 1月浜松座(静岡県)
 2月南座(京都)
 3月中座(大阪)
 5月東横ホール(東京)
 6月地方公演(東北北海道)
 8月御園座(名古屋)
 9月南座(京都)
 10月地方公演(九州)
 11月東横ホール(東京)
 12月地方公演(静岡県下)
1957年
 1月九州公演
 2月南座(京都)
 3月丹波地公演(三ヶ月)
 6月南座
 7月中座(大阪)
 7月御園座
 8月浜松座(静岡県)
 9月・10月浜松座他地方公演
 11月東横ホール(東京)
 12月御園座(名古屋)
1958年
 1月~3月地方公演
 4月東横ホール(東京)
 5月・6月地方公演
 7月常盤座(東京浅草)
 8月・9月・10月東北北海道地方公演
 12月御園座(名古屋)
1959年
 1月・2月地方公演(静岡県下)
 3月東横ホール(東京)
 4月・5月・6月・7月地方公演
 8月御園座(名古屋)
 8月南座(京都)
 9月・10月・11月 九州巡業
 12月御園座(名古屋)
 12月新宿第一劇場(東京)
1960年
 1月大阪毎日ホール(大阪)
 2月地方公演
 3月新宿第一劇場
 4月豊川市国府町霞座経営す
 5月新宿第一劇場にて市川女優座改名披露公演(東京)
 6月御園座にて改名披露公演(名古屋)
 8月京都南座公演
1961年
 1月大阪毎日ホール(大阪)
1962年
 東京読売ホール

以後商業劇場出演を中止し社会福祉事業にのみ協賛出演し、今日に至る。

2014年2月18日火曜日

少女歌舞伎の雑誌記事

少女歌舞伎の雑誌記事リストです。
市川少女歌舞伎を中心にそれ以外も。

T特派記者「珍らしい少女歌舞伎劇団」『少女の友』45(10)、1952-10
座間「芸能・檜舞台にのぼる少女歌舞伎」『家庭よみうり』(335)、1953-02
木村菊太郎「清純な市川少女歌舞伎--十二月名古屋新歌舞伎座から」『幕間』8(2)、1953-02
戶板康二「【時論要解】(文化)『少女歌舞伎』の出現」『時事通信』(2197)、1953-03
「女のグループ(市川少女歌舞伎の巻)」『婦人生活』7(5)、1953-04
「抄色大特集 各界おもしろ帖 芸能放送 大人気の少女歌舞伎」『富士』6(6)、1953-05
戸板康二「市川少女歌舞伎」『芸術新潮』4(7)、1953-07
大鋸時生「市川少女歌舞伎の行先き--大阪文楽座十一月興行」『演劇評論』1(4)、1953-12
津屋三郎「小学生ばかりの劇団 中村少女歌舞伎楽屋訪問記」『主婦と生活』9(3)、1954-03
利倉幸一「少女歌舞伎について--明治座」『演劇界』12(9)、1954-09
「市川少女歌舞伎の人々と語る」『幕間』9(9)、1954-09
「市川少女歌舞伎楽屋訪問」『婦人倶楽部』35(10)、1954-10
竹下竹翁「少女歌舞伎を覗いて」『新文明』4(11)、1954-11
秋山安三郎「鼻高し・少女歌舞伎--八月の明治座」『演劇界』13(10)、1955-09
「少女歌舞伎のマスコット」『サングラフ』 5(10)(45)、1955-10
岡部冬彦「アツカマ氏の美人列車 市川少女歌舞伎の巻」『面白倶楽部』8(13)、1955-11
宮柊二「グラビヤ☆現代の女性=市川少女歌舞伎☆カメラ自叙伝」『週刊サンケイ』5(23)(225)、1956-06
「愉しきかな少女歌舞伎 市川少女歌舞伎座談会」 『婦人倶楽部』38(1)、1957-01
黒田誠之 市川美寿次「婚期がきた少女歌舞伎」『週刊東京』4(17)(136)、1958-04
大木豊「特別読物 思春期に達した市川少女歌舞伎」『週刊東京』4(27)(146)、1958-07
佐々木頼子「野趣に富む「お七」――常磐座少女歌舞伎」『劇評』 9(8)、1958-07
「少女歌舞伎〝車引〟奉納」『サングラフ』10(2)(97)、1960-02
「女になった少女歌舞伎・主役の表情」『週刊新潮』5(11)(214)、1960-03
「伊那谷に少女歌舞伎あり」『週刊新潮』33(47)(1687)、1988-12

2014年1月16日木曜日

榎田ユウリ『カブキブ!』について



 世間一般では、「アマチュアの歌舞伎役者」は、たとえば「アマチュアの電車の運転士」と同様に存在しないものだと考えるのが普通なのかもしれない。しかし、実際には、「アマチュアの歌舞伎役者」は結構いる。
 「地芝居」といって、祭礼で奉納芸能として住民が歌舞伎を上演している地域や、市民サークル的に歌舞伎を上演している地域がある。全日本郷土芸能協会の調べによれば、地芝居を上演する団体は全国に200団体ほどあるという。各団体に10人ずつ役者がいるとすると、全国には2000人近くの「アマチュアの歌舞伎役者」がいるということになる。その他にも、都内の数校の大学には、「歌舞伎研究会」等の名称で歌舞伎の上演を行う学生サークルもある。春や秋には、毎週各地でアマチュアによる歌舞伎公演が行われており、公演の件数だけで比べると、“プロ”の歌舞伎公演よりも“アマ”のほうが多いくらいだ。
 僕は、歌舞伎座などで上演されている狭義の「歌舞伎」ではなく、地芝居を中心に「もうひとつの歌舞伎」を研究の対象としてきた。悪くいえば単なる素人芝居、歌舞伎の真似事に過ぎない。しかし、歌舞伎座の歌舞伎が歌舞伎文化の頂点だとすれば、地芝居や学生歌舞伎は裾野の広がりに相当し、歌舞伎文化の総体を捉えようとする場合には、見過ごすことのできない要素だと僕は考えている。
 榎田ユウリ『カブキブ!』は、歌舞伎に憧れる高校生が学校で部活動として歌舞伎を上演しようとする物語だ。作中で、登場人物が「高校生が歌舞伎なんて珍しくない?」と言っている。実際のところ、高校生だけで歌舞伎を演じるという事例はかなり珍しい。少し年齢層が下がると、小中学生だけで演じる「子ども歌舞伎」というものがあり、「子ども歌舞伎フェスティバル」が毎年開催されるほど盛んである。「以前は高校に“カブキブ”があった」という話を、地芝居の盛んな埼玉県小鹿野町で聞いたことがあるが、現在は活動していないようである。地芝居で大人たちに混じって高校生が出演することはあっても、高校生だけで歌舞伎を演じているという話は聞いたことがない。高校生だけで歌舞伎を演じることは、技量の面では不可能ではないだろう。小中学生が子ども歌舞伎で大人よりも達者な演技をすることは珍しくない。環境さえ整っていれば、若い方が有利だと言っても問題ないだろう。つまり、問題は環境の面にある。
 歌舞伎を上演する際には、通常の演劇でも必要な大道具、小道具等の他に、歌舞伎特有の演技、衣装、かつら、化粧等の面でのノウハウが必要となる。地芝居の場合、地域内でそういったノウハウが伝承されていない団体では、上演の度に地域外から「振付師」や「顔師」という指導者や技術者を招く。学生歌舞伎でも、大学によって「自給率」に差はあるが、地芝居と同様であるようだ。高校生に限らず、素人がゼロから歌舞伎を上演しようとすると、演技の習得と同じくらい、上演環境の整備が難しい。
 『カブキブ!』の主人公のひとり、来栖黒悟は「歌舞伎が好きだから」という理由で歌舞伎部の設立を目指す。彼には歌舞伎の知識はあるものの、上演のためのノウハウはなにひとつ持っていない。物語は黒悟が日本舞踊や衣装制作の技術を持っている生徒を校内から集めるところからはじまる。仲間が集まってからの旗揚げ公演では『三人吉三』が上演される。『三人吉三』は出演者が五人程度で済み、衣装も凝ったものを必要としない。幕末に作られた世話物狂言なので、口語に近い調子で演じることができ、よく知られた名台詞も登場する。実際に地芝居や学生歌舞伎で頻繁に上演されている外題である。背景をプロジェクタで投影したところや、附けを音響装置から再生したという描写には違和感があるが、しろうと歌舞伎の上演で直面しそうな問題が丁寧に描かれている。
 古典芸能をモチーフにした作品では、伝承を課せられた者が独特の慣習の中で葛藤するというパターンが多いと思われる。しかし、この作品の主人公たちには古典芸能の伝承が課せられておらず、芸能に魅了された、いわば、「押し掛け女房」として古典芸能に取り組む。黒悟は「サッカーの好きな奴がサッカー部に入るのと同じで、自分は歌舞伎が好きだから歌舞伎部を作るのだ」と説明する。僕も、「押し掛け女房」として歌舞伎を演じてきたから、黒悟の気持ちはよく理解できる。ただ、歌舞伎は近代スポーツではなく古典芸能である。勝ち負けのある大会は無く、自分の納得できる芝居を目指して自分との戦いがつづいていく。また、作中で既に言及されているが、カブキブの歌舞伎はどうしても“しろうと歌舞伎”であって、“本物の歌舞伎”にはなれないというジレンマを抱えている。“カブキブの歌舞伎”と“本物の歌舞伎”との葛藤は、黒悟の勧誘に応じなかった歌舞伎界の御曹司、蛯原仁を通して語られていくはずである。
 『カブキブ!』は現在二巻まで刊行されており、今夏には第三巻が出る予定である。『三人吉三』の次はどのような外題に取り組むのか、新しいキャラクターが登場するのかが楽しみだ。アイドルが歌舞伎を演じたテレビドラマにピンとこなかった人にも薦めたい。