2014年1月16日木曜日

榎田ユウリ『カブキブ!』について



 世間一般では、「アマチュアの歌舞伎役者」は、たとえば「アマチュアの電車の運転士」と同様に存在しないものだと考えるのが普通なのかもしれない。しかし、実際には、「アマチュアの歌舞伎役者」は結構いる。
 「地芝居」といって、祭礼で奉納芸能として住民が歌舞伎を上演している地域や、市民サークル的に歌舞伎を上演している地域がある。全日本郷土芸能協会の調べによれば、地芝居を上演する団体は全国に200団体ほどあるという。各団体に10人ずつ役者がいるとすると、全国には2000人近くの「アマチュアの歌舞伎役者」がいるということになる。その他にも、都内の数校の大学には、「歌舞伎研究会」等の名称で歌舞伎の上演を行う学生サークルもある。春や秋には、毎週各地でアマチュアによる歌舞伎公演が行われており、公演の件数だけで比べると、“プロ”の歌舞伎公演よりも“アマ”のほうが多いくらいだ。
 僕は、歌舞伎座などで上演されている狭義の「歌舞伎」ではなく、地芝居を中心に「もうひとつの歌舞伎」を研究の対象としてきた。悪くいえば単なる素人芝居、歌舞伎の真似事に過ぎない。しかし、歌舞伎座の歌舞伎が歌舞伎文化の頂点だとすれば、地芝居や学生歌舞伎は裾野の広がりに相当し、歌舞伎文化の総体を捉えようとする場合には、見過ごすことのできない要素だと僕は考えている。
 榎田ユウリ『カブキブ!』は、歌舞伎に憧れる高校生が学校で部活動として歌舞伎を上演しようとする物語だ。作中で、登場人物が「高校生が歌舞伎なんて珍しくない?」と言っている。実際のところ、高校生だけで歌舞伎を演じるという事例はかなり珍しい。少し年齢層が下がると、小中学生だけで演じる「子ども歌舞伎」というものがあり、「子ども歌舞伎フェスティバル」が毎年開催されるほど盛んである。「以前は高校に“カブキブ”があった」という話を、地芝居の盛んな埼玉県小鹿野町で聞いたことがあるが、現在は活動していないようである。地芝居で大人たちに混じって高校生が出演することはあっても、高校生だけで歌舞伎を演じているという話は聞いたことがない。高校生だけで歌舞伎を演じることは、技量の面では不可能ではないだろう。小中学生が子ども歌舞伎で大人よりも達者な演技をすることは珍しくない。環境さえ整っていれば、若い方が有利だと言っても問題ないだろう。つまり、問題は環境の面にある。
 歌舞伎を上演する際には、通常の演劇でも必要な大道具、小道具等の他に、歌舞伎特有の演技、衣装、かつら、化粧等の面でのノウハウが必要となる。地芝居の場合、地域内でそういったノウハウが伝承されていない団体では、上演の度に地域外から「振付師」や「顔師」という指導者や技術者を招く。学生歌舞伎でも、大学によって「自給率」に差はあるが、地芝居と同様であるようだ。高校生に限らず、素人がゼロから歌舞伎を上演しようとすると、演技の習得と同じくらい、上演環境の整備が難しい。
 『カブキブ!』の主人公のひとり、来栖黒悟は「歌舞伎が好きだから」という理由で歌舞伎部の設立を目指す。彼には歌舞伎の知識はあるものの、上演のためのノウハウはなにひとつ持っていない。物語は黒悟が日本舞踊や衣装制作の技術を持っている生徒を校内から集めるところからはじまる。仲間が集まってからの旗揚げ公演では『三人吉三』が上演される。『三人吉三』は出演者が五人程度で済み、衣装も凝ったものを必要としない。幕末に作られた世話物狂言なので、口語に近い調子で演じることができ、よく知られた名台詞も登場する。実際に地芝居や学生歌舞伎で頻繁に上演されている外題である。背景をプロジェクタで投影したところや、附けを音響装置から再生したという描写には違和感があるが、しろうと歌舞伎の上演で直面しそうな問題が丁寧に描かれている。
 古典芸能をモチーフにした作品では、伝承を課せられた者が独特の慣習の中で葛藤するというパターンが多いと思われる。しかし、この作品の主人公たちには古典芸能の伝承が課せられておらず、芸能に魅了された、いわば、「押し掛け女房」として古典芸能に取り組む。黒悟は「サッカーの好きな奴がサッカー部に入るのと同じで、自分は歌舞伎が好きだから歌舞伎部を作るのだ」と説明する。僕も、「押し掛け女房」として歌舞伎を演じてきたから、黒悟の気持ちはよく理解できる。ただ、歌舞伎は近代スポーツではなく古典芸能である。勝ち負けのある大会は無く、自分の納得できる芝居を目指して自分との戦いがつづいていく。また、作中で既に言及されているが、カブキブの歌舞伎はどうしても“しろうと歌舞伎”であって、“本物の歌舞伎”にはなれないというジレンマを抱えている。“カブキブの歌舞伎”と“本物の歌舞伎”との葛藤は、黒悟の勧誘に応じなかった歌舞伎界の御曹司、蛯原仁を通して語られていくはずである。
 『カブキブ!』は現在二巻まで刊行されており、今夏には第三巻が出る予定である。『三人吉三』の次はどのような外題に取り組むのか、新しいキャラクターが登場するのかが楽しみだ。アイドルが歌舞伎を演じたテレビドラマにピンとこなかった人にも薦めたい。