2017年3月7日火曜日

宝塚と少女歌舞伎

市川少女歌舞伎の関係者が宝塚を引き合いに出すことはよくあるが、逆は珍しい。エデルソン2009で紹介されている大阪日日新聞の記事。以下引用。

「ムスメばかりの歌舞伎」大阪日日新聞1955年2月6日
市川少女歌舞伎、宝塚歌舞伎、アヅマ歌舞伎とこのところ女性の手による歌舞伎公演が盛んに行われている。中でも市川少女歌舞伎と宝塚歌舞伎は同じ女性ばかりの劇団でありながら一方は純歌舞伎、また一つは新しいスタイルの宝塚歌舞伎とその目的を異にしているようだ。そこで少女歌舞伎演技指導の市川升十郎と宝塚の歌舞伎演出家錢谷信昭の両氏にそれぞれのむすめ歌舞伎を語ってもらった。
市川升十郎 うちは現在歌舞伎の大舞台で上演されているのと同じ形式の歌舞伎を、少女たちがそのまま写してやっているので、いまのところ役柄に俳優の個性が演技として出ているようなことはありません。といってたんなる物真似でもないのです。やはり写してあらわす表現力が古典歌舞伎でいうところの演技力といわれるものなのです。セリフも歌舞伎の発声法で訓練しましたので女役の子でさえ一度声をつぶして女性の声を殺してから、歌舞伎の女形と同様、女のつくり声でセリフをいうようになるまでやりたいと思っています。もちろん、生地でみせる女らしい自然な形は一切みとめません。男が女を表現するためにつくられた歌舞伎独特の演技法、これをくずさずに演っていくのが、歌舞伎以外の世界を知らない私たち劇団の進む道だと思っております。
銭谷信昭 宝塚歌舞伎は竹本三蝶一座の〝義太夫に乗せて〟ということになっているため、市川少女歌舞伎のように本格的歌舞伎をすることは出来ません。またそれでいいのだと思います。宝塚のように新しいものの先端をいく人たちが演ると古いものも全然ちがった新鮮なものとなって生れかわるのです。宝塚では三百六十五日歌舞伎をやっていない。バレエも声楽も、日舞も芝居も生徒はあらゆるものを身につけ、それをその時その時に実に器用にこなしていっていますが、そのため日本舞踊にダンスの手が見えたり、バレエに日本舞踊の身のこなしがみえたりもする。これが宝塚の味なのです。だから歌舞伎に宝塚の天津、春日野の型が生れてもいいのではないでしょうか。古いものに頼るという消極的な態度から一歩進んで、その上に新しいものを創作してゆく、これが宝塚歌舞伎の第一の目的です。このあいだの研究会でも私は「箱根霊験記」の演出で時間の推移を照明で工夫したり、スローテンポの立回りを剣劇風な早立回りにしてトンボのいないさびしさをカバーしたり、宝塚に合った歌舞伎の創造に苦心しました。スマートな歌舞伎それがうちの一番の特色です。