2015年10月15日木曜日

中村少女歌舞伎について

中村少女歌舞伎は長野県岸野村(現佐久市)で結成された劇団。
1954年に浅草松竹演芸場で公演を行っている。

津屋三郎「小学生ばかりの劇団中村少女歌舞伎楽屋訪問記」(『主婦と生活』1954年3月号)によると…

  • 1944年1月に岸野劇場で行われた地芝居に出演し、四幕を披露。
  • 上山田温泉の旅館が藝者たちに芝居をやらせるためにつくった衣装とかつらを借りる。
  • 地元有力者が後援会を結成。村長、教育委員、信越放送社長らが名を連ねる。
  • 師匠は女役者の中村千鶴。中村新玉の弟子で、「五十五六と見えるかっぷくのいいご婦人」。
  • 座員は、中村ゆき子(四年生)、中村千づる(六年生)、中村テル子(三年生)、市川京子(四年生)、中村タカ子(四年生)、中村松江(四年生)、中村幸子(四年生)。全員小学生。
  • 竹本は竹本津賀子、豊竹豊司。
  • レパートリーは、『熊谷陣屋』、『二十四孝』、『太閤記十段目』、『鎌倉三代記』、『阿波鳴戸』、『奥州安達ヶ原』、『源平布引』、『菅原伝授』、『車引』、『忠臣蔵七段目』、『刈萱』等々。
  • 東京公演は松竹演芸場の支配人が評判を聞きつけて、信州まで見物に行って、交渉が成立して実現。
※記事には市川少女歌舞伎への言及は一切ない。

2015年10月7日水曜日

2015年度日本演劇学会研究集会

日本演劇学会、秋の研究集会で発表します。

2015年度 日本演劇学会 研究集会
◆テーマ:古典劇の現代上演
◆日程(詳細)
 2015年10月24日(土) 10:30~17:40
 懇親会 18:00~20:00
 10月25日(日)10:00~17:10
◆会場
 法政大学市ヶ谷キャンパス富士見坂校舎 ボアソナードタワー25階・26階

詳細はこちら

―――――――――――――――――――――――――――
古典劇の研究と実演 ―学生歌舞伎を事例として―

【発表要旨】
 学生による歌舞伎の実演(学生歌舞伎)は、坪内逍遥が早稲田大学の学生と『地震加藤』を上演した事例があるが、太平洋戦争後に東京都内の各大学で盛んに行われるようになる。三島由紀夫は、1952年の短編『学生歌舞伎気質』で、歌舞伎を演じる学生たちの姿を新制大学の象徴として描いている。1957年には、松竹が学生歌舞伎から「学士俳優」を採用して、彼らを関西歌舞伎へ送り込んだ。当時の評論家は学生歌舞伎には否定的で、例えば戸板康二はたびたび批判してきた。学生の間でも、実演を行う大学と「観劇専門」を貫く大学とで、たびたび論争が交わされてきた。実演派の学生たちは「研究」を実演の大義名分に掲げて論陣を張ってきたが、実演の是非をめぐる論争は1967年を最後に見られなくなる。それは、歌舞伎の文化財指定、国立劇場の開場と同時期であった。
 現在、古典藝能の研究者が実演の稽古をするのは音楽や能楽の方面では珍しくないが、歌舞伎研究においては稀であろう。そのなかで、学生歌舞伎は正課の教育研究活動ではないものの、研究を志向する者による実演として注目に値する活動である。本発表では、学生歌舞伎の是非をめぐる論争を軸に、歌舞伎の研究と実演をめぐる問題を考察する。学生歌舞伎のほとんどは東京都内で上演されてきたが、宮城教育大学の「垣内座」、南山大学の「南山大学歌舞伎」といった地方のユニークな活動も可能な限り紹介したい。